いいえ、宗教と科学は決定的に違います。
— Hiro Ono / 小野雅裕 (@masahiro_ono) 2017年5月15日
例えば、キリスト教信者が神や聖書を否定したら、彼は破門されます。
ですが科学者がもし相対論を否定する事実を発見したら、彼にはノーベル賞が与えられます。
教義を守る作用が宗教です。教義を否定する作用が科学です。 https://t.co/XAHzotAk7y
相反するものとしてよく例示される宗教と科学。もっとも、何かを信じるとの観点では同じようなものだとの解釈もある。ただ、指摘されている通り、宗教ってのは経典なり教義が絶対視されており、それを否定しようものならヘタをすると宗教裁判にすらかけられてしまう(天動説と地動説の話は有名ではある。中世の「魔女」狩りとか宗教裁判も似たようなもの)。教義こそが宗教の絶対真理であり、それに従う行為心情が宗教に他ならない。
けれど科学は違うよね。単に現状で肯定されているものに盾突いたり意義を唱えるだけならば誰にでもできるし、宗教的に小銭を稼ぐこともできるけど、それを正しいものとして立証して反復した結果を出せ、事実であることを明確にできたら、新しい科学的事実として認められることになる。
その辺りを考えると、今のエセ科学などは、科学を宗教的に見た上で、でっち上げたものを新しい教義として新宗教を作り上げているような感もある。その上で、その信奉スタイルはガチガチの宗教的なものであり、自らのエセ科学としての教義は絶対的なものとして扱っている、と。
@masahiro_ono 私はもう一つの強力な「違い」を訴えています。
— Fumihiko Fujiki (@UFOprofessor) 2017年5月15日
宗教は決して融合することがありません。2つの宗教が一緒になった話しは聞いたことがありません。科学は、別の方法で、別の理論体系として作られてきた物が融合して1つになる歴史を繰り返してきています。真実はどちらで見つかるでしょうか。
@masahiro_ono もう一つ。宗教と科学を対置する物の様に考える人がたくさん居ますが、それは違うと思います。宗教は、確かめることが出来ない(確かめてはならない)ので信じるしか無いけれど、科学は確かめようと思えば誰でも確かめられるという決定的な違いがあります。どちらが真実を教えてくれるか明かと思います
— Fumihiko Fujiki (@UFOprofessor) 2017年5月15日
宗教の歴史を紐解けば、あるいは融合した事例があるのかもしれないけど、大抵は分派する形となっている。これも科学と宗教の違い。
また「宗教は確かめることができない、してはいけないけど、科学は確かめられるのが前提」ってのは言い得て妙というか、思いっきり納得できる説明ではある。見方を変えると、確かめることができない科学ってのは、宗教的なところもあるのかな、と思ったりする。
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