「テロ等準備罪」を未だに「共謀罪」と呼ぶ理由

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実のところは当事者に聞いてみないと分からないし、聞いても教えてくれないだろし、多種多様な意見はあるのだろうし、さらには当事者自身も認識を言葉にまとめることが難しいのかもしれないけど。多分にこのような仮説を立てると筋道が通るというか理解納得ができてしまうお話を。

一部報道機関やジャーナリスト、知識人な方々がいまだに「テロ等準備罪」を「共謀罪」と呼ぶ理由は、文字数が少なくて済むという話こそ道理は通るものの大義名分程度のものでしかなく、イメージ戦略の上での都合が多分なのだろうな、と。すでに「共謀罪」なる言い回しで色々な印象付けをしているので、そこから別の名前に同じような印象付けをさせるのは効率が悪いし、かつての「共謀罪」とごちゃごちゃになってぼやけてしまう。ならばすでに刻んだ印象はとことん使い倒さねば、ということになる。

このような、名詞の呪詛化のスタイルは、オスプレイや原発、普天間とパターンが同じ。一種の呪文みたいなものだな。この呪文を唱えればこわい、避けたい、反対したいという刷り込みができているのに、また一からやり直しは面倒くさい。それが事実に反していても、核心的利益にかなうのならば、それを押し通そう、的な。

加えて、「テロ等準備罪」では語呂の上で色々と扇動がしにくいのだろう。詳しくない人には「『テロ等準備罪』に反対? テロに賛成するつもりなの?」と思われてしまうからね。


まさに、安保法改正、平和安全法制の時に使われた「戦争法」なる言い回しが好例。これは法案の中に出てきた、以前使われていた言い回しですらない、完全なイメージ戦略的キーワード。このような言い回しを使う時点で、その界隈はプロパガンダをしているなってことが分かる次第ではある。

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このページは、不破雷蔵が2017年5月23日 07:56に書いた記事です。

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