外国に行って日本より窮屈じゃないと感じるのは、現地に溶け込んでないから、離れオオカミでいれるからなだけで、現地に溶け込んだ生活を始めると、日本より窮屈なこととても多いよ。
— ulala france (@ulala_go) 2017年5月27日
@ulala_go おっしゃる通りです。溶け込めてないので現地人と言うよりはいつまでも旅行者という感じなのかもしれません。もっとも都会に住むというのはそんなものかもしれないですが。
— Shuji Mochida (@ShujiMochida) 2017年5月27日
海外に居住し「この国では●×、でも日本では△■」という形で日本を蔑んだり、意味も無さげに居住国を持ち上げたりする行動。「●×では」という言い回しから「出羽の守(でわのかみ)」と呼ばれている。その評論が正しい根拠に基づいたものなら納得もできるのだけど、意味のない比較だったり、多分に日本をディスるだけの切り口だったり、さらには誤認識やごく狭い界隈での話だったりすると、「出羽の守だよねえ」と逆に突っ込まれる始末となる。海外に居るのになぜか日本のディスリ情報を積極果敢に発信している事例は少なからず見受けられるし(以前も記事にしたかな。安全圏にいるからってのと、「海外発」ってことで箔が付く)、米大統領選ではその実情が大いに暴露されてしまった。
で、その「出羽の守」的傾向に至る理由の一つとしてありえるよなあ、という解が今件提示されたもの。旅行客気分でいるから、とても心地よいものに思えてしまう。優遇されるし、過去に自分が居た場所とは違う目新しさがあるから、きらびやかなものに思えてしまう。
専門研究で自ら中東で、これまで言われてきたこととその実態を精査した結果、「アラブ素晴らしい」「イスラームの良いところ」論の大部分はこれだったんだなとわかった。「異文化間の橋渡し」といっても、橋が変なところにポツンとかかっていて、そこ通るとヤバイだろってことが多い。 https://t.co/6aPlp6n2q7
— 中東ニュース速報 (@chutoislam) 2017年5月28日
「橋渡しが変なところにかかっていたら困っちゃうよね」という表現は言い得て妙。ステキナイスな事を紹介している現地ガイドブックの誘導に従って足を運んでみたら、二度と返ってこれなくなってしまった的な感がある。......似たような話がまさに米大統領選での情報と実情だよね。
ともあれ。現場の声ってのは大切であることに変わりはないのだけれど、n=1というのは非常にリスキーではある。また現場の印象は非常に強いものだから、そこに個人の感性のバイアスが大きく加わり、実情とは異なる情報となってしまうことも否定できない。一歩引いて見るだけの余裕が必要なんだろうなあ、と。
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