成功してる方は総じて運が良いとは思うが、走り回ったり、難しい決断をしたりの結果が正しかったって事でもあるので「努力の結果掴んだチャンスが当たった」ってのが実際は正しい様に思う。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年6月1日
当たり前の事だけど、チャンスを掴むため走り回ったり、難しい決断を下す機会さえない人は、そもそも運の良し悪しを図る機会さえない事になる。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年6月1日
先日一時界隈で、成功している人が努力をしているか否か、運が良いか否か的な話があった。何をもってして成功しているか否かの判断から見極める必要があるんだろうなあと思いながらも、多分に自意識高いというか意識チャラい系の方々が上から目線で論評していてうんざりしていたところへ、すかっとした指摘というか説明がなされていたので、覚え書きとして。
すべてが全てではなく、中には本当に成功が転がり込んできた人もいるのだろうけど。そして努力をした人すべてが報われる、成功するとは限らないのだけど。確率論的には往々にして、このように何らかの努力をしない限りは、その努力の結果として得られるかもしれない報酬を得ることはできない。まかぬ種は生えぬとか、掛け金も払わずに保険料を受け取ることはできないよ、とか。
結果的に成功した本人がそのプロセスを「努力」と考えてるかは人によると思いますが、第三者から見れば確実に「努力」をしてると言えるレベルの事はしてると思います https://t.co/5CRyQeGg7e
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年6月1日
成功した本人は「努力をした」との認識はないけど、第三者の立ち位置で見ればスペシャルな努力をしまくった結果だよね、と評価できる動きってのも結構あるんじゃないかな。その常識のレベルの違いもまた、成功するか否かの一つの基準なのかもしれない。
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