「いいね」ではなく「RT」しろとの話がちらほら出ていますが。RTはそれを行った人のツイートと同じになります。言い回しや描写に微妙な部分、自分の趣向との間にずれがあると、全体的に良くとも手を留めてしまうものです。またRTが多くなるのを好まない人もいます。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年6月5日
最近では「いいね」がフォロワーさんのTL上に現れる確率も高くなったため、「いいね」でも少しばかりは公知能力が備わるようになっています。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年6月5日
RTでないと情報が伝わりにくいのは事実ですが、それを無理押しするのは「拡散希望」とつけるのと何ら変わりは無く。印象がどうなるかはご判断にお任せします。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年6月5日
コミケの当落発表が近いこともあり、創作者をツイッター経由で支援したいのならば、該当するアカウントのツイートを「いいね」するのではなく「リツイート(RT)」してほしい、との話が増えている。中には半ば脅迫的に「リツイートしないとその作者が滅ぶ」的なものもあったりする。
これって、例えば失せもの探しとかペットの捜索とか社会事業絡みとか事件関連のツイートの周知希望と同じ方向性ではあるのだけど、多分に検索エンジン対策と似たような話ではある。というかプロモーションの手立てとでもいうのかな。
RTの方が「いいね」よりも拡散公知力が高いのは事実。でもそれは同時に、RTした人自身が自分のツイートと同じような形でツイートしたこととなる。人から受け取ったチラシを、手も加えずに他人に推挙するために手渡すようなもの。自分自身の口から出たことばと同じになる。
それをしたいと思うのか否か、つまり自分が「リツイートして」と言われる立場に立った時に、そのツイートをRTしたいと思うのか。自分のツイートをもう一度見直すことの方が先ではないかなと思ったりする。自分の言及としてこれが広まるのは、ちょっと避けたいなという言い回しや表現方法、さらにはアカウント名やアイコンをしてたりしないだろうか。また、同じようなRTが繰り返されるのを好まない人もいるだろう。
自分が思わずRTしたくなるツイートって何だろう、どんなものなんだろうか。他人に自分の告知ツイートをリツイートしてもらいたいと思ったのなら、まずはそこから考えた方が近道な気がするよ。色々と方法論もあるのだけど、それはまた機会があればということで。
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