印象操作と、報道やポータルサイトの責務と

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米報道のフェイクニュース周りで「印象もまた第三者に伝える情報の一つであり、演出や表現方法、伝え方の頻度を意図的に成すことにより、印象を操作しているのなら、立派なフェイクニュースでしかない」との話をしたけど、昨今日本でも印象操作的なお話が出ているので、ちょいと思ったことを。まぁ、印象操作そのものは以前から成されているし、人が成すものはある程度生じてしまうのは仕方ないとしても、それが許容範囲を超えているか否かの観点で見ると......というもの。

指摘している通り、たくさんの人が読む・人気が集まる情報と、正しい・周知すべき・知識として知らしめるべき情報は別物。「正しい情報だから人気が出る、アクセスされる」とは限らない。正しくなくても人気が出る情報はあるし、正しい情報でも人気の出ないものは沢山ある。しかし「人気が出る」=「正しい」という間違った方程式のもとに、「アクセスされる、注目されるからどんどん公知しよう」との姿勢を示すのは、ニュースとしては良い方向性とは言い難い。それは単なるイエロージャーナリズム。

新聞社では毎日と朝日、そして通信社でも時事や共同が日々繰り返しそば事案をワンサイド的な視点や表記で流し、ポータルサイトもそれを(アクセスがある≒注目されているからとの理由で)繰り返し取り上げる。これが「印象操作」でなくて何というのか。統計でも取れば一目瞭然かな、とも思うのだけど(やってもいいんだけど、それで誰が得をするのかということになる。以前景気ウォッチャー調査のコメント数を集計して、景況感を落とし込む報道姿勢に関する記事を書いたこともあるけど)。

この手法、タブロイド紙や大衆週刊誌、そしてイエロージャーナリズムとどこが違うのかなと思ったりもする。松本サリン事件もこんな感じだったのではないかな、と。

印象操作をする側が「印象操作との指摘は良くない」といった記事を連ねるのは、ファクトチェックをしてフェイクニュースを糾弾する新聞社自身が、フェイクニュースを連発しているのと同じ構図で、とても薄気味悪いもの。「私はやってない、あいつがやった」は前世紀の某集団と同じ手法なんだよね。

この直近における「印象操作」に絡んでもう一つ。そば事案(森友、加計)や女性案件で積極的にバッシングをしている媒体、界隈は、その名前をよく覚えておいた方がいいかな、と思う。「解析力が絶望的に欠けている」か、「核心的利益(社会体制批判)のためなら、自らの権威や社会的立場を悪用してでも曲解情報を流す性質の持ち主である」のどちらかということになるから。

例えば警察官が私利私欲のためにスピード違反を意図的に見逃したり、毎日犯罪を疑うような内容の大声をあげながらお店に立ち入り検査をしたり、誤認逮捕を繰り返したり、気に食わない相手に拳銃を向けて脅したり。それと同じようなことをやっているのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2017年6月 6日 07:36に書いた記事です。

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