公益通報の要件を満たしていなければ保護されないのは当たり前。議員の法解釈が合ってるかどうかは別途確認が必要。記事は朝日の悪質な印象操作 > 加計問題の内部告発者、処分の可能性 義家副大臣が示唆:朝日新聞デジタル https://t.co/gyAFkVaoyv
— 闇のapj (@apj) 2017年6月13日
何か最近、政府がひどい事言ったとマスコミが報道→よく読むと何も問題なさそう、ってケースが多すぎる。
— 闇のapj (@apj) 2017年6月13日
元々この類の話は多かれ少なかれあったのだろうし、それが最近になって濃度を濃くしつつあるのと、可視化によって判明しやすくなったという相乗効果で深く認識されるようになったのかなあ、という感じがする。政府に限らず地方自治体とか官公庁とか、本当にひどい事を言うこともあるけど、それが誤解釈であったり、さらには肉付けが山ほどされて別の内容になっていたり。曲解という言い回しですら生ぬるい。
本来報道ってのは、世の中に満ちあふれる情報をすべて取得してその上で取捨選択するのは個人では難しいから、その中から「分かりやすく正しい」ように伝えていくのが社会的責務であり存在意義のはず(それに加えて以前話をした「碁石入れから黒い石だけを意図的に取り出し『この中には黒しかない』と公知する」という偏向をしてはいけないってのも必要不可欠だけど)。
それがどこまでできているのか。完璧を成すのは無理だと分かっているけど、問題となるような事案の比率が許容範囲を超えてやしないか、と。
クソつまらない日常こなすのにほとんどの人が精一杯で、時事問題について深く調べたり考えたりする気力なんて、ほとんどの人は持ち合わせてないんだよな。よほど精力余ってる奴か暇人か酔狂人でもない限りは
— 各務原 夕@是非もないよネ! (@nekoguruma) 2017年6月13日
自分の限りあるリソース使って記者が(恣意的に)垂れ流す記事の裏取り情報集める必要があるって、ふつーにおかしいですよ。
— クロモリフレーム (@crmoframe) 2017年6月14日
そうだよねぇ、本来は金を払うことで「そう言う自分で情報の裏とりやらをやらないで洗練された情報を得る手段」だったのに今じゃ政府広報からバイアス掛けまくって何がなんだか・・・ってなるという。民主主義が大事と言う割に政府より信頼度が低いマスコミの存在価値とは一体・・・
— 地方妖怪 PGERA (@PGERA_RX) 2017年6月14日
報道は社会的存在意義を認められた生業ではあるけど、同時にビジネスでもある。対価を支払って読者は新聞や雑誌を読んでいるし、有料放送は放送料を払っている。無料放送にしてもスポンサーのCMを見聞きすることで、間接的に対価の支払いをしている。それで得られるものが戯言だったりプロパガンダだったり妄言だったり書き手の論調だったりしたら、それっでどうよ、的なものとなるのは当たり前の話。最初からそれらを求めていたのならいざ知らず。
対価を支払い欲しがっているのは、分かりやすく正しい情報。発信側の真実ではなく単純な事実が知りたいまでの話。
「何か報じられるたびに一次ソースを確かめなければならなくなるので非常に面倒くさい。それに、これって、しばしばウソをつく人への対処法なんだよね」これは以前【「麻生首相がドイツを名指しで批判した」と報じられた記事などを検証してみる】で用いた表現なんだけど、当時と何ら変わりは無い、むしろ悪化しているという印象を持ってしまう今日この頃ではある。
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