報道の 存在意義が 薄れてる 真実じゃなく 事実が知りたい

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元々この類の話は多かれ少なかれあったのだろうし、それが最近になって濃度を濃くしつつあるのと、可視化によって判明しやすくなったという相乗効果で深く認識されるようになったのかなあ、という感じがする。政府に限らず地方自治体とか官公庁とか、本当にひどい事を言うこともあるけど、それが誤解釈であったり、さらには肉付けが山ほどされて別の内容になっていたり。曲解という言い回しですら生ぬるい。

本来報道ってのは、世の中に満ちあふれる情報をすべて取得してその上で取捨選択するのは個人では難しいから、その中から「分かりやすく正しい」ように伝えていくのが社会的責務であり存在意義のはず(それに加えて以前話をした「碁石入れから黒い石だけを意図的に取り出し『この中には黒しかない』と公知する」という偏向をしてはいけないってのも必要不可欠だけど)。

それがどこまでできているのか。完璧を成すのは無理だと分かっているけど、問題となるような事案の比率が許容範囲を超えてやしないか、と。


報道は社会的存在意義を認められた生業ではあるけど、同時にビジネスでもある。対価を支払って読者は新聞や雑誌を読んでいるし、有料放送は放送料を払っている。無料放送にしてもスポンサーのCMを見聞きすることで、間接的に対価の支払いをしている。それで得られるものが戯言だったりプロパガンダだったり妄言だったり書き手の論調だったりしたら、それっでどうよ、的なものとなるのは当たり前の話。最初からそれらを求めていたのならいざ知らず。

対価を支払い欲しがっているのは、分かりやすく正しい情報。発信側の真実ではなく単純な事実が知りたいまでの話。

「何か報じられるたびに一次ソースを確かめなければならなくなるので非常に面倒くさい。それに、これって、しばしばウソをつく人への対処法なんだよね」これは以前【「麻生首相がドイツを名指しで批判した」と報じられた記事などを検証してみる】で用いた表現なんだけど、当時と何ら変わりは無い、むしろ悪化しているという印象を持ってしまう今日この頃ではある。

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このページは、不破雷蔵が2017年6月15日 07:24に書いた記事です。

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