「ポスト真実」「ポスト真実」うるせぇな。「ポスト真実」言いたいなら、まず世間様に【偏向しない事実を提示】することが出来るようになってから言えよ・・・真実どころか事実関係の報道すらまともに実行出来ていないのに、TVも新聞も識者も何言ってんの?
— 青木文鷹@日曜R17a・大将軍神社研究会 (@FumiHawk) 2017年6月17日
米国で流行ったこともあり「フェイクニュース」「ファクトチェック」がひとしきり日本のメディアでもバズワードとなったけど、それを使う側がフェイクニュースを日常茶飯事的に流しており、ファクトチェックを受けなければならない方が他人を精査すると棍棒振り回し状態となったものだから、あっという間に言葉の権威が失墜し、胡散臭いものとなってしまった。
そして今度は「ポスト真実」。次なるもの、次世代という意味でのポストを頭につけることで、「客観的事実より、感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況」(【「物言えぬ社会」って「RTやいいねしてもらえない」ってことだよね】のようでもある)。
で、指摘の通り、「ポスト真実」云々をいうのなら、まずは偏向しない事実を語る方が先ではないかな、と。「真実」と「事実」とは別物なので、本来は「Post-truth」ってのは「ポスト真実」ではなく「ポスト事実」と訳さねばならないのだよね。「ポスト真実」と訳して用いている時点で、思惑が見えてしまっている。事実関係などどうでもよい、偏向して偏見や思惑がもりもり詰まった「真実」を信じなさい、それが上手くいかない現状は「ポスト真実」で、それは良くない状況だよ、と。何それ酷い。
今までの(自分達にとって都合の良い情報≠事実)である「真実」が色々糾弾されるようになったので、デコイを流し、これまでの「真実」に「ポスト」の着ぐるみを着せるだけかと。要はフェイクニュースをネットのせいにして、自分達は事実を語っているとする姿勢と同じであります。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年6月17日
例えば朝日新聞とかさ、共謀罪とかポスト真実とか言う前に「プロメテウスの罠」の検証と謝罪と撤回が先だろ・・・あんな「ポスト真実のフェイクニュース」流しおいてさ・・・
— 青木文鷹@日曜R17a・大将軍神社研究会 (@FumiHawk) 2017年6月17日
「ポスト真実」はとりわけ朝日新聞が使っているようだけど、その朝日新聞に限っても指摘の通り、このしばらくにおいても、テロ等準備罪やプロメテウスの罠など、ポストがどうとかいう前にやるべきことが山ほどあるだろうに、的な。ああ、そういえば「ファクトチェック」云々言い出して自ら記事の中でコーナーを作っているのも朝日新聞だっけ。
適当な、都合の良い定義づけをして勝手に使い倒して陳腐化させる。昔から使われてきた手法なのだろうけど、最近それが加速化している気がする。
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