同じ小説サークルの先輩(50歳前後)とこないだ話してたんですが。氏の作品で、「サラリーマンの若者がイタズラで上司の車に10円傷を付ける」と言う場面があって、正直読んだ時に引いたんですよな。「後で反省するシーンがあるとは言え、『平凡な若者』の主人公にこれをさせちゃうかよ」と。
— 猫柳墓場 (@NM_amida) 2017年6月17日
以前別の視点で言及した記憶もあるのだけど、昔と比べて社会の変革、環境変化が加速している感は強い。半世紀前の10年間と、今の10年間では、社会の変化の違いは大いに違う。どんどんスピードが速くなっている。昔の感覚で「十年ひと昔」ってのは多分通用しない。良くて半分の5年、下手すると3年ぐらいかもしれない。
そのような状況下で、こんな指摘をされると、ああ確かにそうだなと頷かざるを得ない。この類の話は昔の漫画や小説の復刻版ではよくあるもので、読んでいくうちに何となく違和感を覚えたりするものだ。今の社会常識で読んでいるので、何か軸がずれている、別世界のような雰囲気を覚えるのだな。昔の映画でも結構あるかな、ストーリーのメインではなく、日常生活の描写の部分とか。
時代が進んで、多くの人にとって普通じゃなくなって眉をひそめるようになった時、小説やアニメからそれらのシーンは消えていくのではあるまいか。実態をつかんでいるわけではないが、そんな気がする。先日のちょいワル爺にしても、アレは当時の「シャレで済むライン」のミスマッチによる炎上なわけで。
— 猫柳墓場 (@NM_amida) 2017年6月17日
んで。俺も今34だけど。俺が50くらいになった時、当然また規範もアップデートされているはずなんですよな。行儀良くなってるところもあるだろうし、大らかになる部分もあるだろう。今、俺の感覚で「常識」と思って書いてることでも、15年後には「非常識」になってる可能性は大きい。
— 猫柳墓場 (@NM_amida) 2017年6月17日
以前四コマ漫画と携帯電話の描写の話で触れたけど、この類の「当時の常識による描写」ってのは、社会風俗を記録する上では非常に大切な資料となる。他方、その「当時の常識」を今現在に当てはめるのは、当然アウト。江戸時代の社会慣習を今現在において利用しようとしてもダメってこととさほど変わらない。それを知らずのうちにやってしまうと、当然「非常識」として非難されることになる。
そのためには情報のアップデートは欠かせない。OSと同じだよね、要は。昨今の炎上事案の少なからずは、このアップデートが上手くできていないってのも原因にあるのではないかな、と思ったりする。
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