公開されている議事録以外のものは、なんであっても後から適当に作ることは可能。官僚に騙されてはいけないし、文書のリークで政治を左右できるという成功体験を与えてもいけない。
— 闇のapj (@apj) 2017年6月21日
今回の件で、官僚が気に入らない閣僚を陥れるのは簡単だって事です。こんな事が罷り通るなら政治家、議員は不要になる。官僚の好き勝手をさせてはいけないと民主党政権下でも散々言ってたのが、今は官僚が可哀想だと言い出す始末。どちらが主導するかと言えば、当然政治主導であるべきです。
— tominori (@tominori) 2017年6月21日
民主党政権は、仙谷由人官房長官が内閣官房の事務官に職務中に内閣官房のパソコンで作成させた尖閣ビデオに関する文書(当該文書は菅総理への説明にも利用)を個人的なメモだとして「行政文書」にあたらないと閣議決定していますよ!許せませんね、追求してください! https://t.co/jfyqurwfWn
— ほうがくともどき (@student_lawjpn) 2017年6月21日
仙谷由人官房長官が、勤務時間内に内閣官房のパソコンで、内閣事務官に作成させた「政府として映像を一般公開した場合の検討(尖閣ビデオ関連)」と題する文書。「官房長官(の)個人的な手控えとしての性格」で「組織的に用いるもの」「保有しているものではない」として行政文書に当たらないと答弁。
— ほうがくともどき (@student_lawjpn) 2017年6月21日
仙谷官房長官の「私的メモ」の定義に関する質問主意書
— ほうがくともどき (@student_lawjpn) 2017年6月21日
(提出者:中川秀直)https://t.co/gHFPXalXgy
↓
仙谷官房長官の「私的メモ」の定義に関する質問に対する答弁書https://t.co/zjjNlKl0BY
例のそば事案のうちの後ろの方の加計事案。今や内情は報道・文科省事案な気がするのだけど。そのやり取りや報じられ方を見るに、指摘されている話を頷きまくって首が居たくなるほど。ちなみに後半部分は「公文書」に絡んだ半ば覚え書き。そこにある文書が本当に指摘されていた時点で存在したか否かと、その文書に書かれてある事が事実であったのか否かは別の話。その簡単なロジックをふっ飛ばして、今の報道界隈は暴走している感は強い。書かれてあることがすべて事実となるなんて、そんなドラえもんの秘密道具じゃあるまいし。
ちょっと前までは「ネットは読む記事が偏ってタコツボ化する。タコツボ化を防ぐのに新聞の意味はある」みたいな言説がありましたが、新聞も激しくタコツボ化してきましたね。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2017年6月21日
という話はよく聞くけど、これも実のところは新聞側の主張によるミスリードでしかない。ネットの記事は選択肢がやたらと増え、しかも記事単位で読めるから、有象無象の中からチョイスできるまでの話。新聞は冊子単位なので、選択肢が少ないから、タコツボに見えないまでの話。そう、米国における全国ネットワークのテレビとケーブルテレビ、あるいは紙媒体の雑誌とウェブ展開の漫画と同じような感じ。
官僚が政治家に嫌がらせをする。その構造で国民はどのような対応をすべきか。無論、自分達に、国全体にとって良い方向に歩むような方を支持しなきゃならないのだけど、政治家は選挙で選べるものの、官僚は選べないのだよね。官僚側が悪しきものだとしても、国民はそれを叩き落す事ができない。この一方向性というかいびつな構造が、今のおかしな状態を作っているんじゃないかな、と。
そして選挙で選べないのは報道もまた然り。「買わなきゃいい、観なきゃいい」のは事実だけど、それでは時間がかかりすぎるのもまた事実ではある。暴走を止める方法がないってのは、まさに「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」に他ならないのだよね。
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