バニラ・エアの件で「マニュアル通りにしか動けない現場」を非難するのは本当に憤りを感じる。
— 喋る卵 (@shaberu_tamago) 2017年6月29日
マニュアル通りに動かなかった時の責任は会社はとってくれない。
そして、障害者の介助というものは本当に「命を預かる」事なのだ。
そんなことを会社の規定外で出来るはずがないだろう。
俺たち介護のプロですらそんな事は出来ない。やれない。やるべきではない。やる方がおかしい。個人の裁量で企業の業務内における「規定のない命を預かる行為」をやると云う危険性の重みをもっと考えるべきだ。
— 喋る卵 (@shaberu_tamago) 2017年6月29日
現場の従業員に非はない。非を責める資格のあるものなどいない。ふざけるな。
それが例え正しい事だったとしても、結果論でしかない。
— 喋る卵 (@shaberu_tamago) 2017年6月29日
それは必ず悪しき前例として重大な事故を引き起こす。
責任の範疇というものは存在する。それを守る事において従業員が責められるなどあってはならない。
絶対にあってはならない。そんな社会で働く事の危険性をなぜ分からない。
例の航空機事案に絡んで気になる話があったので。該当する航空会社、さらには公共交通機関全体に対してマニュアル通りにしか対応できないのは宜しくないとの意見が結構見受けられる。半ば八つ当たり、騒ぎネタがあれば何でもよい的な雰囲気もあるのだけど、この「マニュアル通りにしか動けない現場はおバカ」という主張は、まったくもってよろしくない。
理由は上で指摘されている通り。規則ってのは往々にして、過去の経験や実体化したトラブルを元に、そのリスクを最小限化するため、該当領域の利益を最大化するために設けられている。それを守ることで一部の人は損をするかもしれないけど、その領域全体としては益になるというもの。概念的には法律全般とか税金もそうだよね。
加え、決まり事には相応の理由がある。それを乗り越えて例外を設けると、当然その例外にはリスクが伴うことになる。そのリスクが体現化しなかったから結果オーライってことにしてはいけない。その例外を発動させるか否かの条件付けは誰がする? 誰がそれの正当化を成す? そしてリスクが体現化した時にはだれが責任を取る? 「私一人ぐらいいいよね」の「私」は誰が選ぶ?
ましてや今件は不特定多数の人が乗り合せる場所。その場でルールを守らない人が出た事により、他の人も合わせて巻き添えとなる形でリスクが体現化する可能性が生じてしまうことになる。自分一人ぐらいガソリンスタンドでタバコを吸ってもいいだろうというレベルの話。
配慮と現場の裁量で、決まり事を超えた行動をする。これを是とするのは大変よろしくない。「マニュアル通りにしか動けない現場」は最高の賛美の言葉でなければならないのだよね。
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