TL遡り中。違法行為を「自由だから」とマジもんで肯定している筋がいるのを見るに、自由と自由奔放無責任を自分の都合の良いように解釈している方々がおられるのですな、と実感
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月1日
弁護士の肩書を持つ方が「表現の自由ガー」と騒ぎ、一般の人が「公職選挙法225条を読んでください」と諭す、まかふしぎなTLが展開。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月1日
本日は都議会議員選挙投票日のため(当方は諸般事情で期日前投票を済ませているけど)、関連候補者やその所属政党に絡んだお話は避けねばならないということで、その選挙の応援演説において、あった話を元に、ちょいとした覚え書き的なモノを。
具体的なツイートの指摘は避けておくけど、先日の某所での演説に関して、一部界隈の挙動があからさまに公職選挙法に抵触しうるものであり、それをさらに一部報道が切り貼りして伝えた件で、「表現の自由だから」「制止するとかつてのドイツみたいになる」と指摘する方々がいた。まぁ、どのように判断するのも意思表示の自由であって特に問題は無いのだけど、相応の肩書を持ち、語りにおける正当性が期待される方が、多分にその期待から外れた言及をなされているのには少々驚き。
弁護士の資格保有者である事を自称する方が、一般の方から法文を指摘されてそれを読まれるようにと指摘される状況は、一種の喜劇ですらある。
専門家が思想を持つのは自由。でも、その思想に影響されて自分の専門分野で嘘をついたり誤魔化しをしたり、意思決定をするようになったら、もう専門家としてはおしまいです。それは専門家の肩書を悪用した、ただの害悪でしかないのです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015年10月20日
cf. https://t.co/OO3I3kENX5
これは一昨年のツイートではあるのだけど、まさにこれ。専門家がいかなる想いをいだこうとそれは自由ではあるのだけど、その想いに影響されて専門分野でごまかしをしたりウソをついたら、その肩書が汚れてしまうのだよね。さらに過去の類似案件に関わる言及もまた、その思惑に左右された結果では無いかと疑われてしまう。
ちょっとお茶でも飲んで落ち着いて考えれば、その辺りは容易に理解はできるはずなのだけど。
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