内閣府のサイトにおいてある国家戦略特区の議事録に信憑性を疑う人がいるようだけど、「公文書」の重さを舐めないでほしいなぁ。
— Sunrise (@Tech_JP) 2017年7月1日
公開議事録は、そこに出席した全ての関係者が内容を了としたもの。つまり「あの人はこう言ったのに書いてねえ」「俺はそんなこと言ってねえ」はありえないの。
「官僚のメモ書き」というのはメモの中の登場人物全員が書かれた内容に合意してないからね?
— Sunrise (@Tech_JP) 2017年7月1日
そっちを盲目的に信用して政府の文書は信用できない!なんて言ってる人、この一連の議論に混ざる資格ないと思うよ。
これは例のそば事案(森友、加計)で顕著になった、そして報道界隈や一部専門家が意図的に無視している、そうでなければそれらは押しなべて無能だと思っていた話。メモ書きってのは書いた本人のみがその内容を認証しているのであり、その裏付けは本人がいくら事実だと主張しても、その本人以外は立証できない。本人がウソをついていた場合、どうなるのだろう的な。
それに対して正式な議事録、さらには公文書ってのは、原則として関係各員がその内容を正規なものであると認証したもの。だからこそ議事録であり公文書として、記録保全されるわけだ。例の「メモ書きなども公文書として認めろ」的な話を持ち出してくるのは、何をバカなってことなのは、これで容易に分かるはず。
例えば私が相手に金を貸したという書類を自分で作り自分で持ってたとします。私はこう言います「ここに私があなたにお金を貸したという正式書類がある。私が証言してるので確実。お金を今すぐ返してください」。これに相手は納得しないし、第三者も借金は不成立と思うでしょう。これが文科省文書。
— FeynmanLeighton (@Feynman_L) 2017年7月1日
個人、さらには少数人数のでもいいけど、メモ書きと、公文書をごっちゃにすると、こういう話もあり得てしまう。書き手がどれほど信用のおける人物であったとしても、それ単独では信頼するには至らない。
「ふふふーん、俺様に国が5000兆円提供するって約束したら嬉しいなあ~、そうだ、それっぽいものを紙に書いて壁に貼って励ましにしよう」 「ここに『国が5000兆円あげる』と書いてある書類があるので、下さい。持ち主が言ってるので確実」。こんな小話的な話も、正しいものとなってしまう。いかにバカげた話であるか、よく分かるはずだ。
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