「言葉を切り取りされるのを前提」とフェイクな編集報道を肯定するメディアのトップ

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ハフポスト日本版の竹下隆一郎編集長は「人間である以上、言葉っていうのは切り取られるんだと。それを前提に会話っていうのは成り立つんだっていうことをベースに話さないと、メディアは悪い、マスコミは悪いっていうすごい単純な話になって、面白くない会話になってしまう」と話す。

該当記事全体が非常にショッキングであるのと共に、ある意味で「何を今さら」的なところもあるお話。先日の【報道の切り貼りと「報じない自由」と】でも取り上げた、都議会議員選挙での総理の応援演説の実情と報じられ方とか、落選した中村彩氏の語りの報じられ方とか、報道メディアっていったい何なんだろうかという感の強い動きをしている中で、このような話が出てくるとは。

繰り返しの話になるけど、報道メディアは公明正大が規範であり、その前提があるからこそ、社会的にさまざまな優遇を受けている。電波メディアに関しては法的な縛りすらある。にも関わらず、切り貼り編集、さらには偏向が当たり前だから、それをやらないとつまんないじゃん的な言いぐさがメディアのトップから出てくるとは。「メディアは悪い、マスコミは悪いっていうすごい単純な話」? 自ら吐露してどうするの。それで正解、でオシマイ。


少し前に言及した記憶があるのだけど、切り取り、さらには切り貼り編集による印象操作を肯定するのなら、本当に何でもありになる。語っていないことを言葉単位でつなぎ合わせたり、極論としては一文字一文字を音声出力ソフトのようにつないで「語ってました」というのもできてしまう。「そんなバカな」と思うかもしれないけど、アリとナシの境界線はどこにあるのかな、と。大意を変えない上での要約は認められるとしても、意図を変えたり、書き手の都合の良いように差し替えるのは、単なる悪意でしかなく、報道でもない。国語の試験なら点数はもらえないだろう。


ちなみに該当するハフィントンポストジャパンの今の編集長は、経歴としてもバリバリの朝日関係者。元々ハフィントンポストの中身は朝日新聞社系列だったから、このような状況となるのも当然かもしれない。ハフィントン 中身はすっかり 朝日です、みたいな。

しかし驚きを覚えさせる。作為のある編集・偏向報道を成しておきながら、「偏向報道をされる方が悪い」と媒体のトップが公的に主張なされるとは。まさにフェイクニュース宣言。無論、今件のabematimesの記事がフェイクであるという可能性もゼロではないのだけど。

今のハフィントンジャパンはフェイクニュース肯定論媒体なのか、あるいは「自分達のフェイクは良いフェイク、それ以外は悪いフェイク」との認識なのか。多分、どちらともなんだろう。または宗教的な発想として「自らの核心的利益のためには、フェイクと呼ばれるようなものでも許容される」という考え方ですらあるのかもしれない。それは単なるテロリズムと変わらない。


実のところはそういう向きが強いのかもしれない。元々こんな感じでフェイクニュースを創生するのを肯定する界隈が報道には少なからずいて、それを当たり前のように実行に移していた、と。それが段々とバレやすくなってきただけの話なのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 8日 07:54に書いた記事です。

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