「監視社会」 騒ぎし者ほど 「監視」する

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ソーシャルメディアは意思表示のハードルを下げてくれるツールではある。単に文面を記述するだけでなく、さらに気軽に、何らかのアクションでも意志......というか行動を表現させられる。ツイッターやFacebookの「いいね」とかリツイート・広めるが良い例。ただ、これらのアクションは、その機能の説明文によるもののみを意味しているわけじゃない。「いいね」を覚え書きやゆるやかな散布代わりに使っている人、「読んだ」という意思表示のもの、さらには「後で読もう」とする付せん的なものとして使っている人もいる。当方も半ばそんな感じ。

にもかかわらず、昨今の朝日毎日新聞などの界隈では、「いいね」を当てつけ的にニュースにしているのが目立つ。リツイートが多いと「話題になった」として批判的・攻撃的な記事を挙げたりもする。しかしよく考えてみると、同様の他ケースには言及していないことから、該当記事の大義名分として「いいね」やリツイートが用いられたのに過ぎないってのが分かる。

第一、いいねやリツイートのたびにそういう否定的・非難のアクションが「報道」という武器でなされるのなら、その行為自身を躊躇してしまう。まさにこれこそ、監視社会そのものではないかな、という気がするのは当方だけだろうか。

該当メディアのこのような「監視」行動が良いものか否か。朝日新聞や毎日新聞の認証アカウントにおける、妄言や暴言、問題発言、Facebookでの発言や「いいね」の挙動を逐次監視して、報道機関の関係者として問題が「ありそうな」ものを逐次挙げていったら、どうなるのかな、それだけで一つの新しいメディアができそうだな、APIなどを駆使して半自動化できるかもしれないなぁ、という感じがする。

まぁ、実のところ、「監視社会」うんぬんとお騒ぎになられる界隈の方がむしろ、監視社会的な行動をすでに起こしている実情ってのは、化けの皮が剥がれまくって玉ねぎ状態だよね、と思ったりもする次第ではある。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 9日 07:52に書いた記事です。

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