何か大きな勘違いをしている。AERAや朝日新聞は、フェイクニュースを検証する側ではなく、フェイクニュースの発信者として市民や専門家から「検証される側」だ。
— 井上リサ☆玄海紀行 (@JPN_LISA) 2017年7月9日
津田大介「日本でも始まるフェイクニュース対策」 (1/2) 〈週刊朝日〉 https://t.co/XXbH33IntN
「メディア・アクティビスト」って要はメディアを悪用した活動家だよね、という話はさておき。フェイクニュース云々も元々米国で、米大統領選で色々とやらかし、今もその状態を継続している米メディアの多分が、自分達の責をネット上の一部のニセ情報に丸投げしたのが現状なのであり、日本も似たような動きを示しているのは何とも滑稽な話ではある。
前世紀の鳥の名前のような悪質系宗教団体による事例が好例だが、得てしてこのような界隈は、自らが疑いをかけられないように疑似ターゲットを設定し、そちらに大声をあげながら石を投げ、自分達は無罪だ、むしろ取り締まる側だ的な主張をするのだよね。推理モノで「この中に犯人はいる」と探偵が指摘すると、真犯人が「おれはやってないぞ」と騒ぎ立てるようなもの。
フェイクニュースとかわざわざカタカナじゃなくていいんじゃ。嘘つきニュースとか捏造ニュースとか、日本語の方が明瞭だし
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2017年7月8日
捏造ニュースだと普通のニュースと見分けがつきにくいかや
— 物部 (@Luksemburg) 2017年7月9日
その「フェイクニュース」だけど、指摘の通り、カタカナだともやっとしたイメージのみで、あまり理解していないのにも関わらず、同意をしたり受け流してしまう感はある。だからこそ今件のような、フェイクニュースの総本山的な側が堂々と語るような状況が生じてしまう。マニフェストとかリベラルとかアクティビストとかも同じような悪用だよね。とはいえ、ねつ造ニュースだと指摘の通り、普通のニュースとの境界線があいまいになってしまう。
以前も【「粉飾報道」と公開企業の株価操作のためのニセIRと】で言及したけど、粉飾報道って表現はどうかな、と個人的には思うのだな。
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