私も、若いころ、テレビ屋に貸した資料なくされたことがあるので、それ以後、その手の申し出はいっさいお断りしている。ただ、どうしてもと食い下がってくるのがいるので、そのときは、絶対なくさない、なくしたらン十万賠償金を払いますという念書を書いてくださいということにしている。(続)
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2017年7月10日
(承前)だいたい、電話の向こうで絶句しているのがわかるので、とても面白い。しかし、これまでのところ、じゃあ念書書きますというのは一人もいなかったので、大事なものの保管態勢に自信を持っていないことがよくわかる。
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2017年7月10日
先日の【報道メディアには基本的にモノを貸すべからず】の続きネタ。「今はもう大丈夫だよ」「昔からそうだった」「報道だけじゃなくて関連業界とか、対象アイテムの同業社も似たようなもの」という色々な話が出てくるけど、出どころが判断の難しいところなのでさておき。
結構信ぴょう性の高い、そして当方も似たようなケースで思い当たるところがあるお話を。先日の話でも契約書をしっかりと取り交わして、何かあったら責をとるように云々ってしておかないと危ないという話をしたけど、そういう話をすると相手が唖然として(「そんなのありえなーい」的な)、結局どこも首を縦に振らないという実情とのこと。要はそういう仕組み、社会的決まりの中で生きていないのだろうな、報道界隈の制作側は。借り物の保管体制に自信が無いとの指摘もあるけど、そのような中で借り物をしようという考えは理解がし難い。
なんだか、テレビ屋さんの悪口言ったら、やたらRTされているが、新聞記者ともども、今は過渡期なんだと思いますよ。すでにそうではないのに、かつてのように言いっぱなし、やりたい放題が通ると思っている。ただ、あと数年のうちに、それはもうダメだと悟らされるんじゃないかなあ。
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2017年7月10日
今は過渡期。このセリフもよく聞く。ただ当方はいくぶん違った考えをしていて、元々そういう体質でやらかしをしまくりだったのが、昨今になってようやく被害者側も大きく声を挙げて情報が共有されるようになった、実情が暴露されるようになっただけの話ではないかな、と。要はメディア側が変わりつつあるのではなく、元々そうだったまでの話で、周辺環境が変わってきただけ、正体がバレてきただけ。そう考えるとするりと理解ができるのだな。
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