TLで挙がっていた「ありもしない疑惑で叩かれたり悪評を受けるのは、受けた方が悪い」という無茶な主張。既視感があると思ったら「いじめ事件はいじめられた方が悪い。いじめられた人は胸に手を当てて考えてみろ」と寸分変わらない主張ですね。あまりにも理不尽です。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月11日
限りなき優しみから該当のツイートを直接例示するのは避けておくけれど。先日このような話を受けて、ちょいと既視感を覚えたので色々と頭をひねって考え直したところ、いきついた結論がこれ。先日の【「ネコババした」 『してません』と印象操作】と似たような話ではあるのだけど、これって結局のところいじめ問題における「いじめられた方も悪い、いじめられた方がむしろもっと悪い」との主張とどれほど違うのだろうかという感はある。理不尽なこと極まりなし。いじめそのものでも、今回の例の話でも、双方のパターンで経験がある我が身としては、大いにやられた方の心境が理解できる。
(*´ω`*)冤罪かけた側は無罪、マスコミは視聴者の要望でやってただけという、極めて強力なマスコミや野党に盲従な人の意見なのでしょう。(ヽ´ω`)刺す側が悪いに決まってるでしょうに。
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2017年7月11日
また、「冤罪」という言葉で思い当たったのだけど、これって例の痴漢冤罪騒動における、本当に冤罪の被害を被った側の話とも共通するのだよね。疑いをかけられた方が悪いって論理はどうやったら正当化できるのだろうか。李下に冠を正さずですらないというのに。それこそ何の行動もすらできなくなってしまう。それは文字の切り貼りレベルにまで達した「報道」への対応として、何もしゃべらない方がいいよね、ってのと同じではないかな。
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