「報道しない自由」から逃れるためにと考えてみたけれど

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【「『報道しないこと』これがマスコミ最強の力だよ」】が思い起こされる、昨今の(あるいは以前からもそうであって単に分かりやすくなっただけの)報道の切り貼りや意図的な「報道しない自由」を駆使した、印象の操作的な報道姿勢。「今朝は飼育しているアリさんの様子を見ながらご飯を食べました。とても美味しかったです」を「今朝はアリさんを食べました。とても美味しかったです」と伝えてしまうようなレベルにまで達している。

で、それに対抗する手段として、通信社のニュースを片っ端から音声で流し続ける番組ってのはどうかというもの。一見すると面白いように見えるし、実はすでに近い形で実現している。病院のお知らせ用テレビや新幹線の電光掲示板などで見られる、スクロールする形で流れていく文字ニュースがそれ。

ところがどっこい、昨今では共同・時事のような通信社ですら、「報道しない自由」や「偏向報道で印象操作する自由」を駆使する時代。今サイトでも何度か紹介しているし、そば事案(森友、加計)ではそれが顕著となっている。なので、通信社の情報を音読云々としても、結局「報道しない自由」からは逃れられそうにない。

人の情報処理能力ってのは限界があるから、世の中のすべての情報を押しなべて取得するのは困難。メールアドレス宛に山ほど届くスパムメールも含めたメールを、全部チェックしなきゃならないようなもの。だからこそ報道は、情報を公明正大な観点で取捨選択し、分かりやすく、そしてなりよりも正しく解説しなきゃならないのだけどね。

今の報道は家電の分厚い説明書と共についてくるシンプルな薄い概要書の中身が、まったく別物の商品向けだったりするような状態だからねえ。。。

今件に絡んで、その報道側が、当事者や関係者が説明しても「説明がされてない」との意見を視聴者・読者の代弁という形ですることがある。それを見聞きするたびに、説明を伝えるスピーカーの役割を果たす報道が仕事をしていない、サボっているだけの話ではないのかなと思う。その実情を報道自身がドヤ顔で伝えるのは「自分達は役割を果たしていません」を自称するようなものなんだよね。

ましてやその説明に関わる報道について、切り貼り編集や「報じない自由の駆使」がマスターデータとの比較で容易に検証される現状では、「説明がされてない」との言い逃れはできない、むしろそれは「報道自身が仕事をしていない」と自ら立証している気がする。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月15日 07:24に書いた記事です。

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