朝日・毎日等の新聞記者が次々にその浅はかさを暴露する発言をツイッターやFacebookで示しているのを見るに、新聞記者は多分に本質的にこのような程度ではないか、そしてかの人達自身はむしろ自分達が優れている、下々に我が教えを知らしめるべきだと自負しているのではと思うようになりました
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月14日
話によると読売新聞は記者にツイッターをさせないようにしているということなので、なるほど感を覚えつつ。朝日や毎日新聞が特に目立つのだけど、それに限らず東京新聞や沖縄地方紙二紙、そして日経、さらには通信社絡みも合わせ(あとは日本に支社を置いている海外の新聞社の日本支局記者かな)、新聞などのメディア関係者がソーシャルメディアを利用すると、馬脚全開モードに突入する呪文がかけられてしまうのではないかという感を覚えさせるのが現状。
「私達記者は正義、がんばる」が際立った例ではあるのだけど、その記者界隈は総じて自らを高きにある尊い人であり、読者など他の人たちは下々でしかないとの認識を有している感はある。口にこそしないものの、ね。王権神授説の王様みたいな感じ。
これは海外も同様。なので報道媒体に携わる者は、不特定多数に自分の本質、技能を通して、自分だけでなく関わっている媒体をも見透かされることを、十分認識しておく必要があるのではないだろうか......と思ったのだけど、それを理解する見識があるのなら、そもそもそのような暴露的な行動はしないよね、という悲しい結論に。
ちなみにそれらの記者勢は往々にしてプロフィールに「個人の感想です」「所属組織とは無関係です」と記載しているけど、これは通用しない。自ら所属を明らかにし、常日頃はその肩書を利用して意思表現をしているのだから。ましてや認証アカウントなら。個人で、無関係を貫き通したいのなら、肩書を捨てて匿名で利用すればよい。これは何度となく伝えたお話で、ちょいと引いて考えれば常識的なお話に過ぎない。
ダニング=クルーガー効果...! https://t.co/UoeFKasPde
— くどう (@kudoh) 2017年7月15日
ダニング=クルーガー効果 https://t.co/q8zimS9BGg 能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう認知バイアス。未熟あるいは能力の低い個人が、自らの容姿や発言・行動などを実際よりも高く評価してしまう認知バイアス。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月15日
このような挙動をダニング=クルーガー効果なのだという。説明によると、自意識高い系的なものでもあるのかなあ、という感じ。
マスコミ人のプアな検証力がSNSの活用で残酷なまでにさらけ出されているなぁ。東京新聞はもとより、記者アカウントの積極的なSNS活用を打ち出した朝日の方針は皮肉な意味で公正な情報開示方針だったと謂うわけですかね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年7月15日
「この程度の連中が毎日あなたのお手元に配達される新聞の記事を書いているんですよ」って内情をここまでさらけ出す姿勢ってホントに公正だと思いますよ、軽減税率なんかよりもよっぽど公正なので、今後も記者アカウントの発信を規制しないでくださいね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年7月15日
いやホント、新聞社の記者アカウントのSNS活用って、ホントにいろんな意味で「ああ、このレベルの人間が記事書いてるんだ」って意味で凄い情報開示になっていると思うよ。彼らが沈黙していたら、なんで新聞記者があんな偏った報道をするのか真意がわからなかったもん。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年7月15日
少なくとも、SNSを活用している人々にとっては、新聞報道がなんであんなに偏っているのかってのは、実感的なレベルで理解されているよね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年7月15日
個々の新聞記者が自由に発信しなかったら、新聞報道の変梃さの真意がサッパリわからなくて不気味だったけど、今はもうなんで新聞報道がダメなのかみんなわかってるよね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2017年7月15日
で、ざっと指摘されている通り、ソーシャルメディアによる可視化は、報道界隈、特に新聞関連の内情、スキルの実情をあからさまにしてしまっている。見方を変えると、ソーシャルメディアに疎い層は、その実情が見えてないわけだ......例えば記者界隈の発言をプリントアウトして、その記者が属する新聞に挟み込んでみたらどうなるのかな、と思ったりする。「この新聞はこのような発言をなされる記者が作っています」みたいな。新聞の正体見たりSNSとでも詠んでしまいたくなる。
本来新聞記事というものは、書いた記事を上役に上げて社内でもんで文章責任のお墨付きをつけてやっと公開されるべきものであり、記者個人の文章をそのまま垂れ流したら有象無象の文章になるのも当然な気がします。
— せっちゃん (@ozasikigodzilla) 2017年7月15日
このような指摘もあるのだけど、ソーシャルメディアで実情を暴露してしまう記者っての、無論新人さんや一介の記者の方もいるのだけど、相応の肩書を持つ、役付きの人も多分にいるんだよね。で、そういう人たちからしてアレな実情では、「記者個人の文章をそのまま垂れ流したら有象無象の文章になる」というのも、慰めにはならないような気がしてならない。上から下まであんな感じ、というところだな。
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