弁当屋さんは「これが食べられるかどうかは分かりませんが」なんて商売は絶対にしない。そんなことしたら店は一発で潰れる。新聞屋が「これが事実なら」なんて言うのはこれと同じこと。新聞屋はまず事実だけを店先に並べろ。事実かどうか分からなかったら調べてこい。話はそれからだ。
— 3pF (@3pF) 2017年7月19日
昨今の報道界隈、特にそば事案(森友、加計)や「こんな人たち」や防衛相周りの話とか、かもしれない、可能性がある、という見方もある、といった、推論やら憶測やら確からしさの上て首を縦に振れないような情報がソースとなり、それを事実であるとする「報道」が多く、色々な危惧を感じている。現状は指摘の通り、食辺りをするかもしれないようなお弁当を「食べられる」と称して売っているようなもの。新聞屋などの報道機関は情報を商品として売っているのだから、実情は同じなのだよね。
事実情報の「報道」を、推測や見解、可能性を合わせた「論説」とまぜこぜにした上で、「報道」として伝えるから問題。これはプレスとオピニオンをごちゃまぜにして、その上でプレスとして報じるのは単なる詐欺だという話として、何度となく伝えている。オピニオンとして伝えないのは、それだと耳を傾けてもらえないから。合成肉を普通のステーキ肉として売るような、どこかで聞いたようなお話。
もう、子供に「新聞を読みなさい」「NHKのニュースを見なさい」と勧める時代じゃなくなっちゃいましたねえ...
— KGN (@KGN_works) 2017年7月19日
加計学園の報道を見るとひたすら一方的に片方の意見に沿って紙面を構成している新聞があるが。
— 島国大和 (@shimaguniyamato) 2017年7月20日
本当に世論誘導するなら、両論併記のフリして地味に片方を持ち上げるとかしたほうが効果的で、かなり見破りにくくなると思うのだが。
この辺り読者はとことんバカにされてるのか。
加計問題や蓮舫二重国籍問題の報道で分かったように、今の日本では新聞やテレビ等既成メディアの多くはフェイクばかりでネットは真実を伝える。隣の中国でも、共産党御用のメディアは嘘だらけ、国民はネットで真実を知る。つまり、日本の既成メディアの多くは、中国共産党の宣伝機関とは同類である。
— 石平太郎 (@liyonyon) 2017年7月20日
報道がありえない虚偽報道に踏み込んだのは、民進党の無責任な「根拠のない追求」が原因の1つだと思います。稲田防衛大臣に対しても「誰が言っているか分からない根拠のない主張」と「マスコミが報道しているから」を理由に罷免を要求する山井国対委員長。国会の底が抜けた感がある。
— ひまわり (@powerpc970) 2017年7月20日
そのうち、災害報道での緊急放送でもNHKを信じることができなくなるようになったとしたら恐ろしい。報道機関は報道では事実を淡々とコメントなしで伝えればいいのだ。受け手が色々と判断できるよう、幅広く情報を伝えることができないなら、法令でアウト宣告される前に自主的に刷新して欲しい。
— ヤン=ミンツ (@yangmintz) 2017年7月20日
オオカミ少年は最後に本当にやってきたオオカミに食べられてしまう(という話を当方は知っている。結末が色々違うパターンもあるそうだけど)。今の報道界隈は多分にその道を歩んでいるのではないかな、という気がする。フェイクニュース云々と大騒ぎしているけど、その多分はむしろ自らがフェイクニュースを放つ側の詭弁的なものであるし、正義の刃的な語りをするなんとか砲とか、公正な報道をとの認識を自称するバズなんとかとか、なんとか機構も、その矛先が多分に偏向しているし、ね。
ひとつだけ補則をしておくと「ネットは真実」というのも間違い。既存報道がすべて虚実、ネット情報はすべて真実なんてのはありえない。既存報道が虚実を語ることが多くなった、あるいは以前からそうだったのがバレるようになったのだけど、ネットも似たようなもので真偽さまざまな情報で満ちあふれている。ただし、配される情報の量がけた違いで、取捨選択をする方法も自在に選べるのがネットの良いところ。
例えるなら、片田舎にある、地域の生活を一気に担う1件の雑貨屋さんと、全国の店舗を網羅できるネットショッピングとの違い。雑貨屋さんがインチキをしていたり暴利をむさぼっていたり危険物質を取り扱っていたりしても、その雑貨屋さん以外で購入できない人には、非常にマズいことになる。ネットショッピングなら「あの店は詐欺だから、別の店で買おう」ってのができるわけだね。
戦後72年、言論統制をひたすら忌避し、「いつか来た道」を辿るまいと必死で反戦論陣を張ってきた結果、戦時中の大本営発表と大して変わらない報道体制になってしまった、というのはまさに現代のイソップ物語。とにかく左翼や売国勢力の台頭に余りにも無警戒すぎたのよ日本のメディア連中は。
— keseran (@Rasa_X) 2017年7月21日
政府御用だろうが反政府反権力だろうが「デマやガセを報道するのは思想に関係なくフェィクだ」という簡単な話を「反権力のためならフェイク報道しても報道の自由」とか言うからマスゴミと言われる。
— TAKAHIRO F2C (@TakahiroF2c) 2017年7月21日
以前も「今の報道は自身を大本営とした戦中の報道体制のようなもの」と表現したけど、「大本営発表は良くない」と旗を振りかざした報道自身が、今や大本営そのものとなり、「大本営発表」を成し続けているという、歴史的な皮肉感を覚える今日この頃ではある。
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