「人の絵に勝手に落書きするのはコミュニケーション」なる発言を見て
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月24日
「人のプラモを勝手に完成させたり壊してしまう」
「人の原稿をコピペで埋めてしまう」
「人のグラフ・データを勝手に改ざんしてしまう」
などの状況を想像して怒髪天をつく状況となっても当然ですよね、と思った次第。
諸般の事情で直接大元のツイートを引用するのは避けておくけれど、先日こんな話があった。まぁ、それが本当に行われたか否かを確かめるすべはないけど、そして当方は絵を描けるタチではないので能動的に絵を描いた上でこんなことをされたことはないのだけど。追加例示したような事例は少なからずあるので、結構理解できたりする。
まぁ、原稿やらグラフやデータは、デジタル系のものなのでマスターが残っていればそこから復元することができるのでまだ良い。けれどプラモデルとか絵の類は、手を加えられたらそこでオシマイとなる。ああ、料理でもいいわな。
手を加えた側は善意だったり、ちょっとしたいたずらのつもりだったり、あるいはそれも含めてコミュニケーションの一環としての行為だったのかもしれない。しかし作っている側としては、たとえそれが下手くそなものだったとしても、自分の手によって成し遂げようとしていたもので、それを勝手に(つまり本人の同意なしに)手を加えられてしまうのは、色々と台無しにされてしまう感は強い。
勝手にやった側の好意なのだから、意思疎通をしたいがための手段なのだからと正当化され、怒った作り手側の気持ちが台無しにされる。このような状況が繰り返されると、世の中の理不尽さを覚えるようになる。
教え諭す側の立場にある人は、勝手に落書きされる側の気持ちも十分に推し量ってほしいものだ。
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