報道機関にとって情報は商品であり、それは人の命をも直接・間接的に奪いうるもの

| コメント(0)


報道機関にとって情報は商品であり、それは人の命をも直接・間接的に奪いうるもの。多くの人はその情報を判断材料にするのだからね。その商品たる情報の信ぴょう性に関して「報道だから」と精査をないがしろにするのは、職務怠慢以外の何物でもない。

有限面積・時間のメディアにおいては編集による一部要素のみの露出は仕方がない。しかしながら公明正大(正しく分かりやすくそして何より公平に)を原則とする「報道」メディアで、全体の主旨を違えるような切り貼りはその存在意義を失う所業でしかない。碁石入れから10個の石を取る時に、黒石だけを取り出すようなもの。あるいはその碁石入れには黒石など入っておらず、あらかじめ自分の手に黒石を忍ばせていたかもしれない。


数年前の某ファストフードや某カップヌードル、そして自動車のエアバック問題が好例だけど、商品に問題が発生した場合、その内容と共に対応次第では企業が傾き、コケる可能性があるほどの重大性のあることとなる。ところが報道界隈は、情報が商品であるにも関わらず、その情報への信憑性などに対する姿勢が非常に雑。むしろ意図的に信憑性を蔑ろにして、自分のやりたい事のために振り回している雰囲気の方が強い。

品質管理云々との指摘はまさにその通り......なんだけど、それが出来れば苦労はしないし、恐らくは「報道の自由ガー」で聞く耳持たないのだろうな。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2017年7月26日 07:45に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「ウソをつくのは低コスト、それを立証するのは高コスト、それを覆すのには......」です。

次の記事は「伊藤園の株主優待到着(2017年分)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30