貧すれば鈍するということだと思うが、編集さんたちも本や雑誌が売れないので、「やさしく」「わかりやすく」すれば、より広い読者が取れるはずと思い込んでしまう。ところが、きょうび活字を愉しもうという読者は、そんな手取り足取りの文章や内容では、馬鹿にされたと感じるだろう。ザ・断絶。
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) 2017年7月24日
これは雑誌文化の残滓。「分かり易く簡潔に書く」は安価な雑誌や新聞なら正解だが、ネットに広告費が移行して雑誌が売れなくなり、書籍やムックに担当変えした編集者が、一〇〇〇円オーバーの書籍でも雑誌と同じ事をやって、読み応えのある本を欲しがっている読者に逃げられて自滅する。何人も見た。 https://t.co/fgd9pkRKbF
— 鳥山仁 (@toriyamazine) 2017年7月26日
書店にずらりと並ぶ書籍やその類で、指摘のような形状変化をして滅んでいった雑誌って、確かにあったよなあ、ということを思い返しながら。
インターネットの普及浸透で文章を読ませてお代を頂戴するビジネスの競争が激化し、いかに手に取ってもらうかが重要度を増している昨今。指摘の通り「易しく分かりやすく」するのが最強の方法論だとする考え方がある。ジャンルや切り口ではそれが正解だろうし、かつての、そして今でも一部方面で展開されている、コミック化もその一つ。上手くいけば新たなジャンルも開拓できよう。
ただ、その方法論がすべての場で通用するかというとそうではない。指摘されている通り、「易しく分かりやすく」したために、本来有していた魅力が損なわれてしまうっていう例も多々ある。その方法論を成してよいのか否か、十分に市場調査と自商品の特性の再確認をした上で判断しなきゃならないのに、「あれで上手くいったからこれもそうに違いない」と安易に判断すると、えらい目にあうし、大抵は取り返しがつかなくなる。
ええ。元々、新聞の文体というのは、ヘミングウェイが参考にしたぐらい簡潔性重視のスタイルだったんです。しかし、バカでも分かりますがこの書き方では長い文章は書けません。それでもヘミングウェイは馬力で何冊かの長編を書いてますが、平凡な書き手なら現状でも精一杯でしょう。
— 鳥山仁 (@toriyamazine) 2017年7月26日
まぁ、老眼化した読者層に面と向かって「老眼でも読みやすくなりました」と正直には言えないので、苦肉の策で「脳を活性化」と誤魔化したのでしょうね
— きらびぃ (@qwjqwj314) 2017年7月27日
指摘されている通り新聞は文字の拡大化と内容の希薄化が進んでいる。一応大義名分は読みやすくするためとあるけど、脳の活性化云々ってのは初めて聞いた。脳の刺激をもたらすか否かは別として、文字が大きくなっているのは、購読者層が高齢化して、小さな文字だと読みにくいって指摘が多分に及んだのか、逆に「文字が大きいから読みやすいですよ」とアピールするためのものなのか。いずれにせよ、掲載可能な文章量は減るので内容は軽くなる。写真をたくさん、大きく取り入れるようになりましたとかアピールしている新聞も無かったっけか? それも発想としては似たようなものだし、行き着くところも変わらない。
新聞の発行部数が減退し続けているのも、あるいはこういう話も要因としてあるのかもね。少なくとも、文字を大きくして内容が希薄化し、結果として人気が高まったとか部数がアップしたという話は聞かない。具体的な成果が出ているのなら、継続すべき手法ではあるのだろうけど。
コメントする