「コンピュータはデータを入れると、それを解釈・分析して正しい答えを与えてくれる」という思い込みは、どう醸成されたのだろう。1940年代から、報道・エンタメをたどっていくとその過程が見えるんじゃなかろうか。(Nスペの錯誤はまさにここだよね)
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2017年7月23日
例の先日のNHKによるAI番組で色々と話題に登った話の一つとして指摘されたもの。確かに世間一般のイメージとして、ランプやなんだかよくわからない動きをする小物が沢山ついている、巨大な機械仕掛けのコンピューターがあり、そこにデータを何らかの形で入れるとあちこちが光ったり動いたりして、ぴっと正しい答えが出てくるってのがある。AIに質問すれば何でも正しい答えが出て来るよー、という例の番組の軸もまさにそれがもとになっているのだし、それが実際には正しくないってのもまた事実。
結局のところコンピューターってのは計算機だから、人間が入力したデータを、人間が用意した仕組みに従って計算して、その結果を出力するだけ。その入力するデータがおかしければ正しい答えは出てこないし、データが正しくともそのデータを用いる計算が間違っていれば正しい答えは出ようはずもない。
この「コンピューターにデータを入れれば何でも正しい答えが出る」ってイメージはいつごろから構築されたのだろうか。少なくともエニアックとかコロッサスよりは後のはずだけど。
大昔...といってもやはり戦後になるのかな、の、コンピューターの描写、それこそリールがぐるぐる回ってランプがてかてか光って、パンチャーによって穴が開いた紙テープが出力されて、専門家がそれを読んで「ふむふむなるほど」とうなづくような描写辺りからかもしれないなあ。なんだか未来的なものが謎の動きをして、全能全知のような性能を有しているって感じ。手塚先生とかの漫画に出てくる、未来のコンピューターも大体そんな感じ。出力は音声だったりするけどね。
この辺りの研究は、漫画とかアニメとかドラマとか映画に絞れば、結構明確な答えが出せるかもしれないなあ。どれほど意義があるのかはまた別として。
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