記事タイトルに感情表現があったら読まない方が正しい判断ができそうな気がする https://t.co/9P7qLsmNpY 再送......というか改めて見直すと、随分と役立つ指標です。事実のみが欲しい時には特に。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月29日
ほしいのは記者の想いや伝えたい事ではありません。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年7月29日
報道で求めているのは事実です。
以前提唱した「記事タイトルに感情表現があったら、その表現で集客しよう、読み手の思惑をコントロールさせようとしているのは明らかであり、事実とは別の情報を刻まれてしまう可能性が高い。ねつ造報道のフラグみたいなものだから、読まない方が良いね」的な話。いざ実践してみると......というか、逆に感情表現のあるタイトルを持つ記事をチェックすると、高い確率でねつ造報道的な内容だったりする。事実報道が、事実の情報のみが欲しい時には、ノイズでしかない。
論評においてなら、色々な人の考えや想い、仮定話をするのも良いし、それに目を通すのも思考の多様化、新しい観点の取得の点で役に立つ。しかし事実のみが欲しい時には、逆にゴミでしかない。オリジナルの商品が欲しい時に二次創作やコピー品が混じっていたらどうするか、と考えれば容易に理解はできるはず。夏休みの自由研究発表会に、保護者が作った工作が混じっていたって例でもいい。方向性はちょいと違うけど、ステルスマーケティングも似たようなものだ。
アマゾンの商品ページで例えるなら、商品のスペック(価格とか重量とか部品数とかメーカー設定の難易度とか)の情報が欲しいのに、「面白そう」「格好良い」「つまらない」「とても美味しい」などという表現は要らない。まずほしいのはその商品のストレートな情報。感想が欲しいのならコメント部分を読めばよい。商品スペック部分と感想のコメント部分がごちゃ混ぜになっていてたら、分かりづらいことこの上なし。
今の報道はそのたとえならば、メーカー提供のスペック表記部分に、レビュワーのコメントがごちゃまぜになり、しかもそれが「混ざっています」と説明されていない状態。それを見極めるのが、感情表現だったりする。
感情表現が入っていると、情景としてはイメージされやすい。けれどそれは同時に、書き手の印象をそのまま事実として受け取ってしまうことになる。書き手が公明正大中立であればそれも事実情報として受け止められるだろうけど、現状はそうだろうか。
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