報道の非対称性と不公平感、「報道しない自由」こと情報の隠蔽と

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一週間前の仙台市長選では野党共闘の郡氏が初当選として、上記のような話が一度ならず数度に渡り、さまざまな方面から、多様な観点(しかも選挙の内容そのものの分析はいい加減なレベルで)で成され、与党政府・首相の求心力が低下した云々という話に結び付けられた報道や論説が行われた。仙台市の状況をしっかりと、それこそ公開情報の精査だけでも、鉄板の結果であり、国政が関わる部分はほとんど無いという結論に至るのだけど、何かにつけてディスる傾向はここにもあったりする。これが通信社の記事だからねえ......ということでツッコミの解説もした。

で、先日、似たようなケースで横浜市の市長選がなされ、こちらも状況的には同じような鉄板の結果が出て、国政における与党側が推薦するサイドが当選した。各種公開情報の分析の限りでは、こちらも鉄板の結果が出たまでの話で、特段変わったようなものではないし、国政とのかかわりはほとんど無い。

けれど、先の仙台市市長選であのような論理展開を多数の報道などが波状的に成したのだから、同様の論説を横浜市市長選の結果でも成さなければならない。いや、義務はないけれど、それをやらないと、政治的な平等公正に欠けるか、絶望的なまでの分析・記事執筆能力に欠けたと暴露したのと同じとなる。あるいは今流行りの「ねつ造報道」こと報じない自由を縦横無尽に駆使するのかもしれない。証拠づくりのためにちょろっと伝えるのだろうけど、頻度や深さ、長さでは大いに違う結果となるのだろう。

通信社に限らず一般報道も合わせ、横浜市の市長選の結果を受けて、仙台市の市長選の結果の時のように「首相求心力、回復へ」的な話が同様な反復性のある姿勢で成されるか否か。ここが「報道」の公平性・平等性、さらには正当性の見極めとなる。少なくとも今現在においては、その動きは見られない。

個人的にはそのようなものは、双方とも結果の限りでは、求心力云々は関係は無し。しっかりと選挙の実情を正しく解説するか、さもなくは事実のみを伝えてほしい。報じる側の思惑で、印象操作をするのはいい加減にしてほしい。報道の非対称性がいかに悪であるか、罪深いことか。それを認識しないようでは、報道の存在意義は無い。いや、むしろ罪悪でしかない。


「報道しない自由」に関しては先日分かりにくいからと、【「放送しない自由」ってやはり分かりにくい。「ねつ造報道」とか「うそ報道」の方がいいのかも】という話をした。伝える部分と伝えない部分を配信側が意図的により分け、大意を違えて伝えるというマクロ的視点ではその表現で正しいのだろう。ただ、ミクロ的に考えると指摘の通り、「情報の隠蔽(いんぺい)」という表現もありかもしれない。要は「伝えるべき情報を意図的に隠している」というもの。

「それは伝えるべきというウェイトは感じられなかった」「伝える必要は無いと思っていた」との反論もしてくるかもしれない。だとしても、その内容如何では、そのより分け・判断において不公平、偏向性が明確化されることになる。たまたまだという再反論があったとしても、傾向を見極めればそれも言い訳にすらならないのだよね。文春砲とか、例のファクトチェック機関もまた同じではある。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月31日 07:57に書いた記事です。

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