気力がないけど仕事をしないといけない。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
そんなときの、話をしよう。それは人生でもよくある話で、だいたいの場合、原因そのものは放置され続ける。なんとかなった、あるいはなんともならなかったけどまあ過ぎたことだからいいや。これで原因究明や対策がなされないまま同じ過ちを繰り返す。
大抵の人間は気力が不安定なまま生きて、死ぬ。これが普通だから別にかまわないのだが、そうはいかない人もいる。そのための対策もいろいろ開発ある。そのいくつかを書いてみたい。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
とはいえ、気力なんてものは個人的なもので眼に見えない。ために効果もまちまちで絶対聞くようなものではない。
気力、モチベーション、やる気。色々な表現がなされるけど、具体的な数字化は難しい、活動のための馬力、エネルギー的なもの。身体的に弱っているのが原因であることもあったりするけど、少なからずは気持ちの持ちよう、精神的な問題だったりする。
実のところ精神的な部分でストッパーがかかっており、作業の類に腰が上がらない時は、何らかの危険信号が出ていることによる場合もある。なので、無理してケツを叩いてやってしまうと、かえってリスクが高まることもある。なので今件はあくまでも「自分はサボっているのだろうなあ」と自覚できる時とか、どうしてもやる気を注入しないと、作業を終わらせないといけないなあ、という時の知識として。あるいは日頃からだらけており、どうにかしなきゃいけないと自分で思っている時に。
気力がなくて仕事ができないとき。一番あるのは締め切りが近くない。世の中には締め切り近くでしか仕事やる気が出ない人が8割ほどいる。むしろ、人類の大多数はこれ。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
締切間近待ち型の推奨する気力の出し方は。締め切りをこまめに、たくさん持ち、できれば自分では締め切り管理しないことだ。人に言われないと人間頑張れない。実はこれも人間の多数派。人に言われた締め切りは守れる人の方が自主締切を守る人より圧倒的に多い。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
デッドラインが近づかないと気が乗らない。ならばデッドラインを小刻みに作ってしまえばよい。実践目標は小刻みにってのは昔道徳の教科書で見た記憶があるのだけど、まさにそれ。締め切りは自分で管理しないことってのは環境的に無理な人もいるので、スケジューラーを使うとか、ね。できる人は自分の設定した締め切りに追われてお腹をキリキリすることになるのだけど。
気力がないパターンの第二パターンは目標が高すぎるパターンだ。人間は、目標を達成できないと次に90点で行こうとは一般的にしない。0点を積極的に目指す人が3割以上いる。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
気力というのは便利な言葉で、自分の実力不足をさも環境のせいのように隠してくれる効果がある。もちろん本当に気力がない人もいるが、最初に説明した通り気力は見えないものなので、これを便利な言い訳として使う人がびっくりするほど多い。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
この実力を間違えて成績が上がらず気力のせいにするパターンは、厳密にいえば気力の問題ではなくて実力の問題だ。しかしこれを気力のせいにし続ける限りは、当然未完の大器で一生が終わる。たいていの人はそうだ。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
未完の大器で終わらないためにどうするか。一番の推奨行動は自分の見積にいささかの価値も見出さないことだ。実際にやって、ある程度の実績から予定を立てると、ほぼ実力通りの仕事ができる。予定を最初に作るのではなく、途中で作るのが一番良い。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
目標が高過ぎてへばってしまう、あきらめてしまうってのは良くある話。要は計画の時点で間違っていた。ならばある程度無計画(とはいえ脳内でそれなりの見通しを立てておかないと明後日の方向に行ってしまう)で進んでみて、その頃合いに応じて「これぐらいなら出来そうかな」という、実現可能そうな計画を立てる事。商品をサンプルやお試し期間で精査して、全編を買うか否かを決めるようなものだ。
まぁ、それがイヤだったり難しい場合は、「こりゃ無理だ」と分かった時点で計画を変更する事。ただ、途中で計画を変更するってのも実に難しい話ではある。
これがなんの役に立つのか分からないので仕事できない。そういう話もたくさんある。これは日本の風土病の一つで役立ち至上主義という。この病気今や完全に主客転倒して役立つならなら給料が安くても、無休でもいいとか、そういう思考になってしまっている。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
文芸でいうと、こんな自分が役立つならトラックにひき殺されて転生してもハッピーだよねとか、そういうのだ。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
役立つことをやりましょうというのは合理的な思考だ。しかし役立つことしかできませんは病気だし、価値観としては人生が明らかに損している。割り切って仕事出来ないと家庭を大事にできないし作れないし、また現場から離れて管理職になった時に、なんか違う病という別の病気にかかりやすくなる。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
役立つことはいいことだ。しかし、物事には限度がある。1分でできる仕事を30分かけて役立つかどうか考えるのはばかげている。30分かけて迷うからには2倍の作業時間でも実は割に合わない。大抵はやったほうがよかったになってしまうのだ。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
何のために仕事をしているのか分からない、だからやる気が出ない。大規模なプロジェクト、大手の企業に居ると特にあるお話。自分は歯車、ネジでしかないのでは、的な。まぁ、その場合は割り切りも必要かなあ、と。24時間フルスロットルで自分は役立つことをしているってのは無理な話。......いや、実のところ、すぐに成果が出る、役立つことが分かるってもの以外でも、時間を費やすことで自分の経験になっているので、仮にやった当時は意味の無いようなこと、むしろマイナスだと思えた事でも、後になって、何らかの形でプラスに働くってのは結構あるのだけどね。
さて、それらの話とは全然関係なく、気力0で気力があるように動く方法を教えよう。学校とか歯磨きがそれだ。大抵の人は気力なくても歯磨きはしてる、学校にも行っている。あるいは行っていたはず。そう。習慣化されていると気力とは無関係に仕事できる。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
大切なのは習慣にしてしまうこと。習慣化の一番手っ取り早い方法は生活リズムの中に組み込んでしまうことだ。時計のアラームでこの日のこの30分はこれをやる。それでいい。
— 芝村裕吏 (@siva_yuri) 2017年8月6日
あとは習慣化。習慣にしてしまえば、やりたい・やりたくないといった気力とは無関係に行動してしまう。日々のジョギングとかも良い例だな。そこに至るまでが苦労するけど、一度習慣化してしまえばあとは楽。いやむしろ、習慣化すると、その行為をしないとかえって焦りを覚えたり、罪悪感が生じたりする。まるで食事とか呼吸のように、しないと死んでしまう的な感じにすらなる。
この習慣化行動を容易になせるか否か、そして習慣化した行為をどれだけ増やせるか。ここが日々の生活をより良いものにしていく一つのヒントになるのではないかな......と思ったり。
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