著作物の権利と「時事報道」の定義と

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先日の某所でテレビ関係者による発言をきっかけに色々と話に登った、報道ならば自由に著作物を利用できるのではという話。正直なところ昨年の【「報道に使うのならばソーシャルメディアの顔写真は本人の使用拒否意思があっても使って問題ない」との見解。では「報道」とは?】でほぼ話としては行き着いているのだけど。

要は社会的大義であり、社会に貢献する意義が大きい時事報道ならば、通常の権利保護周りのあれこれはふっ飛ばしてもいいよ、というもの。緊急避難とかにニュアンスは近い。ただ、その「時事報道様のお通りだい」的なお話って、昔のような「不特定多数に公知出来る能力を持っているのが法人格を有する大手報道機関のみ」だったからこそのものなんだよね。

その行為は社会に役立つ、健全な状態への維持管理に不可欠なものであり、できる組織が限られている。だからその組織には特権を与えて、しかるべき行為を後押ししなきゃならないというもの。

でも今では昔のような状態ではないのだよね。発信元によって公知ボリュームこそ違えど、現状のように誰もが多数に公知出来る時代において、相変わらず大手報道機関の情報発信のみ「時事報道」と定義し、そこのみに特権を与えるのには無理がある。「報道」の仕切り分けはどこにあるのか? 公知可能能力で仕切り分けするのなら、その具体的な値は? それを正当化するための裏付けは? また、そのような仕切り分けをすると「報道を法で、国家権力で束縛するのか」という、根本的な問題が生じてしまう。

「一億総報道カメラマン」の言葉もそこから来ている。今は昔と環境が異なる...ってあれだ。法律の話でもよくある、既得権益側が固執して、世の中の変化に対応しきれなくなっている事例だ。


「時事報道」を成す側の特権は、民主主義を維持するのに欠かせないってのが理由の一つ。けれど、現状の報道組織に関しては公知能力の相対的変化だけでなく、「時事報道」として期待されている品質の内容を世に送り出しているのか否かという、能力面での問題もあるのだよねえ......。

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このページは、不破雷蔵が2017年8月 9日 07:07に書いた記事です。

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