ネットサービスとしてのゲームやマンガのアーカイブ不可能性の話。結局未来の研究者は人々が残した断片的な記録から内容を推測するしかないのだろうなあ。同時代の批評や絵だけではなく劇場の構造や備品の目録まで使ってどんな劇だったかを再現しようとする演劇史と同じような方法をとるのでしょう。
— 松下哲也 (@pinetree1981) 2017年8月6日
先日も言及した、オンラインゲームやクライアントサービス型の電子書籍のような、サービス全体が閉じてしまったら、その存在の記録保全ができなくなるタイプのコンテンツが増えているので、時代の継承とか歴史的な検証が難しくなっているという話。コンテンツの性質上、便利ではあるけど記録できないのは仕方がないっていえばそれまでだけど、同時に過去のデータが精査できないってのは非常にマズい気もする。振り返りが出来ない歩みは、単なる暴走しか生み出せないし、学習して賢くなるヒトにおいて、学習すべき過去の情報が無いのは困りもの。
で、指摘の通り、記録として残せるもの、残したものをパズルのピースのようにつなぎ合わせて、当時の状況を推測していくしかなくなる。例としては演劇史が挙げられているけど、古代文明史も似たようなものかな。それこそ、土器の破片をつなぎ合わせ、足りない部分は推測で補完して形作るような。
そのような工程では多分に、記録としては残しやすい形をとっている二次創作の作品の類も資料として有益になるかもしれない。同人誌とかファンサイトが、その作品の全貌を眺め見るのに不可欠な存在になる。なんだか不思議な話ではあるけど。
まぁ、過去に存在していた著名人の人物像を推し量るにも、色々な文書を参考にするし、中には対象者を好きで書いたようなものもあるから、結局は昔も今もさほど変わらないのかな、と。
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