「昔はクーラーなんか使わなかったが問題なかった」って言ってる年配の方から話を聞くと、大概は熱中症で倒れた友人や朝起きたら亡くなってた知り合いの話を持ってる。本人も倒れた経歴があったりすることもある。つまり全然「問題なかった」ではない。認識してないだけ。
— ハイイ・ハイデッカーZ@静岡 (@HII_Z) 2017年8月8日
『よく倒れたりよく死んでたので別にそれが問題と思ってなかった』というやつ、あらゆる病気でありそう。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) 2017年8月8日
夏の暑さが厳しくなってくると必ず持ち上がるのが、この類の「昔は大丈夫だったから今でも大丈夫のはず」的なお話。いくつか理由があって、単にやせ我慢をしているだけだとか、本当に昔と比べて今は気温が上がっているので「昔は大丈夫」なのは正しいけど今はそうじゃないよというツッコミモード突入とか、自分もダメだったのを忘れているとか。またクーラーに限れば「使わなかった」とあるけどそもそもクーラーの普及率が低かったので使えなかったわけだし。
で、その他に理由として考えられるのは、指摘されているようなもの。昔は大丈夫だったのではなく、大丈夫じゃない結果がごく普通に生じており、それが目立たなかったので記憶に残っていない、認識していないだけというもの。生存者バイアスも合わせ、記憶ってのは多分に曖昧で自分に都合の良いフィルタがかかるものだな、と。
今件、定期的に話題に登る「若者の犯罪が凶悪化」にも構造が似ている。統計的に見ればむしろ逆に、若者の犯罪は減っているし、凶悪化云々ってのも見出しにくい。ただ、昔はそれが当たり前で情報としてはあまり目立たず、情報伝達の手法もスカスカだったので、自分自身が認識する機会はあまりなかった。今では念入りに何度も繰り返し伝えるケースが多々あるので、目に留まりやすく、たくさん起きているよねと誤認してしまう。「凶悪な事件が伝えられる機会が増えた」とした方が分かりやすいかな。
人の感覚、印象は得てして自分自身の経験に左右されやすい。その経験は大切だけど、目の届く範囲でのみの挙動に左右されやすいので、大局観を持って物事を見極めないと、間違った判断を下してしまう。要注意ではある。
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