20代のネット端末利用状況(情報通信白書)。パソコンを使うのは仕方なく、的な状態。大体スマホで済んでしまうのです。 pic.twitter.com/KHgnGzAo8T
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
同じく。20代の利用傾向。一例ですが、色々とかいま見れて興味深いのです。 pic.twitter.com/UJSQxd5P1g
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
年齢階層別のシェア意識。若年層はハードルが低い。 pic.twitter.com/W0Oi7fdT49
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
20代の具体的なシェア意識。許容度が高いのですが、逆にリスク意識が低いのが気になるところ。 pic.twitter.com/GTo5b7rzcS
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
法的な問題もあるのでしょうが、ネットオークションとかフリマアプリの利用度合いは、日本も欧米とさほど変わらず(リテイク)。 pic.twitter.com/W7hbLJTwjf
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
アプリダウンロードランキング 調査期間にもよりますけど、随分と考えさせられる結果。 pic.twitter.com/XiFBodNLfQ
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
アプリダウンロード方法や情報の入手先。あー、なるほど(色々と思い当たる所あり) pic.twitter.com/g7JaF3FDGF
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先日発表された情報通信白書の斜め読みをしていて、記事にはできそうにないけど興味深いお話を。要は若年層ではスマホからネットに入って、それに満足しているため、ネットの利用もスマホ環境のが前提、主軸となっており、つまみ食い的な情報取得のスタイルが固定化しているっぽいというもの。また、セキュリティに関する認識も正直ざるなので、上手くいっているうちはいいけれど、ヘマをすると大変なことになるよねえ、という感想。いやぁ、ネットでのミスって下手すると一生付きまとうレベルのものが発生しかねないからねえ。
スマホの前のガラケーのときもそうで、その時点で普及していたサービスの活用はガラケーでたいてい足りてた。テレビはワンセグで、LINEやTwitterはまだなくても、連絡はメール、SMSで足りて、SNS代わりの2chはガラケーで読めた。https://t.co/GgXifW4FCo
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
「スマホやタブレットでは無理で、PCでなければ享受できないサービス」という条件(例えば扱うデータが大きく、莫大なメモリと高速なCPU、GPUを必要とするアプリのような、超高品質サービスは、それが娯楽用途であってもあまり求められなくなってた。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
「小説ならケータイ小説で足りてた」みたいな。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
あるいは、可処分所得及び可処分時間単位の細分化によって、「超高品質なサービスを処理するための超高性能な端末や長時間拘束」を希求するユーザが減ったか、「希求してもかなえられるユーザ」はかなり限定的になった。
結果、少ない時間で、小さなパフォーマンス・リソースで、少額できれば無料で対応できる程度のもので足りる、むしろ、それで足りない規模のサービスは求められなくなった。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
FF(ファイナルファンタジー)の長大化が、必ずしも市場の拡大に向かわなくなったようなもので。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
車やバイクを買ったり海外旅行する人が減ったのもたぶん同じ理由で。
それが、可処分所得・可処分時間競争、処分するリソースの少ないユーザーにまで市場を拡大したネット界にも及んだ。
「入力端末としてマウスとキーボードが必須のPC」は、現れたときがそうであったように「それでなければできない作業に従事する人」の道具に戻り、それでなくてもいい人(真の意味でのコンシューマ)は小型端末で事足りるように。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
フルコースじゃなくてつまみ食い程度でいいや、的な。当人としてはバイキング料理を楽しみたい、山盛りのカレーやラーメンじゃなくて。https://t.co/SHm4bYgs2N
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
その意味では目新しい話ではないとは思うんだけど、これから起きることは幾つか想像できる気はする。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
情報端末の普及は、「受信装置と発信装置の普及」でもあるのは言うまでもない話で。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
一人一端末、誰でも「ニュース」や「オピニオン」を発信する手段を得たのが今日のネットとそれに連なる状況だというのは、これも言うまでもない話で。
とはいえ、誰もが等しく情報を正確に活用できるわけでもなければ、正確に発信できるわけでもないということも、我々は既に様々な形で体験し、痛感しているはず。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
PCは「長大な情報を並列して検索したり処理したりしやすく、またキーボードは高速で大量の情報入力には向いている」。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
要するに、濃度の高い情報発信者は今後もPCを使う。情報の検証者も同様だろうと思う。
スマホ、タブレットで幅と深さと並列処理をするのは、負担が大きすぎる。
もちろん、ガラケー時代に超高速入力するガラケーネイティブ(特に女子高生やOLなど)がいたのを見ればわかるように、スマホネイティブでも超高速入力をする人は出て来るだろうとは思う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
つまり、スマホ・タブレットネイティブにも「ノイジー」な発信者は生まれうるし、実際生まれている。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
が、「あれこれ同時に調べる」みたいなのには、イマイチ不向きな点はやはり否めないかな。ここらへんは、マシンスペックの問題はある。
ただ、オピニオンリーダーとして常に正確で誠実な発言を義務付けられている......のではないユーザーは、そこまで誠実であることを自分に課す必要がない。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
だから、PCのような「専用の業務用機」を常用する必要はなくなってくる。
ケータイ小説の一文が簡素で短かった理由は、ガラケーの表示能力(一画面に表示できる文字量)の小ささに順応した結果だったと思う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
同様に、スマホやタブレットで表示または処理できる文章量の「小ささ」は、受信者の受け取る情報を小さくせざるを得なくなる。
短くまとめることへの価値が高まる時代、という指摘 https://t.co/Nci2l0x9Gw とか、「分かりやすく、そして正しく」が求められる時代、とか。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月9日
これらはスマホやタブレットが「内蔵メモリや外付けHDDを大きくすれば、PCと変わらなくなるから解決できる」かというと、恐らくそうはならない。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
今度は、可処分時間の制限を受ける。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
我々はスマホやタブレットを、多くの場合「外出先、移動中、休憩中、何か別の作業の合間」などに使う。
結果的に長時間になるケースはあるがw、本来は「小さなスキマ時間の消費(=暇つぶし)」に使われる。
長大な情報をスマホやタブレットで受信できても、それらは「ちょっとした暇つぶし程度の時間」では消費しきれないから、細切れで少しずつ、または「冒頭部分だけかいつまんで後は読まない」となる。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
ケータイ時代は従量課金制で通信量を抑える意味がありました。これは投稿者側も同じでかつ当時のブラウザの仕様でフォームから送信できる文字数にも制限がありました。
— Tomoya (@Tomoyamx) 2017年8月9日
PCだって「ちょっとした時間つぶし」で使われるケースはあるだろうけど、スマホ・タブレットに比べると、「PCの前に座っている時間」「拘束を受ける時間」は圧倒的に長くなる。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
それこそ、「自宅、自室にPCがあり、帰宅後や休日にがっちり使える」か、「職場にPCがあり、PCを使った仕事をしている」かのどちらかくらい。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
故に、「深さがある濃度の高い情報」はPCから発信される可能性が高くなる気はする。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
とはいえ、それらが「深さと濃度と量がある」と、今度はスマホ・タブレットでは消化しきれなくなるから、PC発の情報がスマホ・タブレットで消化されやすいとも思えない。
かつてガラケーにフルブラウザが載ったときに「PCと同じように表示できる」と謳われましたがいまいち使われず、標準でフルブラウザの載っているスマートフォンは、サイト側がスマートフォン向けサイトを作るように変化(Google のような検索サイトもそれを後押し)していきましたね。
— 久家拍徒(故障中) (@signed_coward) 2017年8月9日
そうすると、スマホ・タブレットなどの「制限を受けた環境から発信された、クラスタの小さな情報」が、同様に「制限を受けた環境で受信され消費され、共有される」と言うかたちになってく可能性は高い。かもしれない。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
例えば、僕がゴゴゴと連ツイしてるときは、例外を除けば大抵はPC(Windows)かChromebookのどちらかからで、スマホでゴゴゴはめったにない。タブレットに至ってはほぼビュワー扱い。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
じゃあ、僕のゴゴゴゴゴというのをスマホの人が全部追いきれるかとか応じきれるかというと、たぶん無理でしょう。iPhoneから絡んできて追いきれなくなる人結構いるし。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
そういう形で、発受信端末の形状、環境の相違から、情報交流ができるかできないか、バッファオーバーフローしてしまうかなどの差異が生まれてくるんじゃないかなという気はする。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
PC側では「1行単位で3ツイ」でも、「140字みっちみちで30ツイ」でも追えるけど、スマホ側ではそれはきつい。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
となるとそこに情報の格差あるいは「処理しきれる量のギャップ」が生まれてくる。
ギャップがあってもスマホ・タブレットからPC由来の(というか、PCを使う環境の人が処理しきれる)情報を処理するのは困難というか、「そんな暇があったら宿題しなさい」「そんな暇があったら溜まった洗濯物洗え」「そんな暇があったらアタシをもっとかまなさいよ」とかになる。もげろ。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
得られる情報が飛躍的に増えて、処理すべき情報、判断機会も飛躍的に増えて、要するに「個人の能力の格差を超えて、全体が忙しくなった」というのが現状なのだろうなー、と。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
なので、「どうでもいい、手っ取り早く、手短に」が重要になる。
OK。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
結論はこうだ。
「皆忙しいからスマホで十分」
わー、身も蓋もない。
PC買うほど金はないが、PCでしなければならない、PCでなければできないことが取り立てて多いわけでもない20代は、かつて「PCがあった時代にガラケーをパカパカやってた」のと同程度に、「スマホをつるつるやるだけで事足りる」ということなのだろうなあ。と。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
「つまりこういうことです!」
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年8月9日
と、簡潔にまとめられたわかりやすい短文で提示されると、
「それが全ての解決できる結論かな」
と飛びついてしまいやすい。
平たく言うと「騙されやすくなる」。
で、この傾向に関するゴゴゴ先生の解釈・解説。大よそ同意出来て、要は与えられた環境に即した形でネットへの接触スタイルが固定化してしまっていると。つまみ食い的なものしかできないんだったら、そのスタイルでいいや、的な。先日まで本家サイトで分析していた、「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」とか「通信利用動向調査」でも似たような話が出ていて、特に「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」ではLINEニュースでニュース取得を済ませてしまう若年層が増えているという結果に、ちょっと恐怖を覚えたりもする(【それでも読まれる紙の新聞、50代以降はニュース系メディアで最多利用(最新)】)。
ダイジェスト版でオッケーってのは一つのスタイルではあるけど、あの短文化した内容が正しく概要を表しているか否かってのは正直微妙だし、以前言及したように「タイトルによる読み手への扇動・誘導」ってのが無いとも言い難い。「分かりやすければ正しくなくてもいいじゃん」ってのは、発信側が自由に操作しても構わないってことをも意味するのだよね。
うーん、自分も何か手掛けた方が良いのかなあ、と思ったりするし、実のところそのような話のプランは持っていたりするのだけと。コスパの問題とかリソースの関係で、まだ覚え書き程度でしかないのが実情だったりする。
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