プロパガンダな宣言や放送を積極的に「報道」する姿勢の意味

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ソーシャルメディアの普及浸透で情報伝達のハードルが低くなり、多くの人が情報発信をして他人に伝えられるようになった。それと共に、色々と困ったことも生じている。その一つがこれ。以前欧州でテロ事案が発生した際に、その実情が現地の人から次々に送られてきたけど、それを拡散するは止めるべきだとの話があった。

なぜなら被害の状況を広めることで人の恐怖感も同時に伝播され、それは多人数に影響力をもたらし恐怖を覚えさせるという、テロ加害側の意図に加担することになるから。加え、警備体制などを加害側に伝えてしまうことになるかもしれない。特段の意図なく伝えた情報が、犯罪行為に加担したのと同義となる。そんなバカな、と思う人もいるだろうけど、冷静になって考えれば、加害者側の立場になり想定すれば、理解はできる。ましてや公的機関の情報で無ければ、デマやガセの可能性すら否定できない。

一般の人のソーシャルメディアの投稿に限らず、報道機関でもこのような姿勢が少なからず見受けられる。上記で挙げた北朝鮮情勢もその一例。結果としてかの国の思惑に加担しているのと同じとなる。荒らしへの対応を見事に間違った感。

また、なんとか真理教という、前世紀の鳥の名前のような犯罪組織の行動に対する報道姿勢もそうだったし、昨今でもISILなど反社集団への「報道」姿勢とかも同じ。反社組織へのインタビューとかも。そのような対象の言葉をそのまま「報道」「インタビュー」として公知する事は、結果的にその意図に加担しているのと同じになる。彼らにとっては自分の存在をアピールすることが、大義を果たすためのプロセスの一つなのだから。

「報道」だから、「表現の自由」だから、という言い訳もあるだろうけど、それらにはすべて相応の責任が伴うもの。自由奔放とはわけが違う。その責任を負うだけの認識はあるのかな、と。いや、責任が無いと思い込んでいるからこそ、繰り返されているのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2017年8月12日 07:18に書いた記事です。

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