勉強してないとグーグルを使いこなせない現象を「魔導書が目の前にあってもラテン語がないと読めない」と喩えるといいのではないとか思ったが、この比喩がピンとくる人は平均以上に、そして必要以上にグーグルを活用していそうな気がしてならない
— 垂木いすゞ (@Isuzu_T) 2017年8月17日
グーグルに限らず検索エンジンの数々、そして検索エンジンに限った話では無く道具は多分に、それを使いこなせれば相応のメリットを得ることができる......というより、そういうように道具はできている。でもその道具を使いこなすだけの知識が無いと、その道具の便益を得ることはできない。
魔法が使える魔導書を手に入れても、書かれている言葉がラテン語だった場合、ラテン語が分からないと読めないから、単なる変な文字が書かれてある古い書物以上の意味合いは無い。なんか昔のものがあるけどどのようなものか分からないので倉庫にぶち込んでおけってことで言葉通りお蔵入りし、後になって価値の分かる人がそれを見つけてびっくりする、という感じでもある。
検索エンジンもそんな感じのもので、色々と機能はあるし使い方次第で縦横無尽な活躍をしてくれるし、利益が得られるのだけと、それが分からなければ「そんなものもあるよね」以上のものでしかないし、下手をすると逆に損失すら受けてしまうかもしれない(ガセ情報ばかりをつかまされたりとか、ウィルス交じりのページに誘導されるとか)。
そして指摘されている通り、魔導書云々の話が理解できるのであれば、検索エンジンの有益性はそれなりに理解できるはず。要はセンスや概念の問題であって、まずはその概念、もっと簡単に表現すると「こんな感じのもの」「こんな使い方をする道具」ってのを覚え置く必要がある。「漢字が読めないと教科書が読めない」ってところかな。説明書を読まないと電子レンジの色々な機能を使いこなせないとか。
まぁビジネス的には例えの話ならば「ラテン語を勉強して魔導書を読めるようになりましょう」とするよりは、日本語に訳して販売したり、魔導書の中身を教える塾を開いたり、ラテン語の教育講座を開いた方がよいのかもしれないけど。
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