情報伝達手段の技術は格段に進歩し、情報網もけた違いに網羅されているのに、肝心の流れる情報の信ぴょう性が送り手の思惑で低下し、かえって正しい情報の取得がし難くなっているのは、何たる皮肉なお話ではあります。いや、昔から信ぴょう性はこんなものだったのかもしれませんが。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月19日
Pumpkin Scissors(21) (KCデラックス) https://t.co/rjZ4KKAOap 到着、読了。表紙の意味も合わせ、これこそを描(書)きたかったのかな、という感想。昨今の現実社会のあれこれをも思い返させる、そんな内容。次巻で完ではないように願いたい。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月18日
先日最新刊の21巻が届いてざっくりと読み通した「パンプキンシザーズ」。もやもやとしていたあれこれのいくつかが体現されていて、賛否両論はあるのだろうけど、改めて読んで良かったなぁ、自分の血となり肉となる作品に違いないと思ったのと共に、ふと感じた事柄の一つを何となく。
記事タイトルで言及したのがほぼすべてなのだけど。技術進歩の拡大と方法の多様化で、情報網は整備網羅され、伝達量もスピードもけた違いに向上した。本来ならばこれだけの進歩発展があれば、さらに情報界隈は良くなるはず......なのだけど、一概にはそうとも言い切れない。
肝心の流れる情報の信ぴょう性が送り手の思惑で低下し、ジャンクな情報の量も増えてしまっている。結果として、かえって正しい情報の取得がし難くなっているのは否めない。無論、しっかりと精査することで、取得できる正しい、有益な情報が増えているのも事実だけど。まぁ、何たる皮肉なお話には違いない。
ただ、見方を変えると、そして報道界隈のあれこれで何度か言及しているけど、実のところ情報の信ぴょう性ってのは元々こんなものだったのかもしれない。それが正しい、確かな情報の数が増え、取得しやすくなったことで、暴露される機会が増えているのかもしれない。
例えば1日1つしか情報が与えられなければ、それを信じるしかない。比較検証も出来ない。けれど1日10個も与えられ、さらに自分が望めば逐次さらなる情報を得ることもできるようになれば、比較検証は容易になるし、結果としてより正しいもの、より確からしいもの、より論理的なものを見出し、格付けを成すことが可能となる。昔は近所の雑貨屋で買い物をするしかなかったけど、今ではスーパーもコンビニも商店街もあるし、ネットスーパーでの注文もできる。色々と比較し、かつての雑貨屋がインチキ商売をしていたことも分かる、的な。
結局技術の進歩ってのは、使い方次第で便益にもなるけど、それに身をゆだねて自分のかじ取りを忘れていると、より一層翻弄されやすくなるのだろうなあ、という気がする。
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