加戸氏の発言があまり報道されなかったのは、報道する価値がなかったからにすぎない。なぜ首相の友人の大学に決まったのか、そのプロセスこそが加計問題の本質だが、加戸氏が国会で語ったのは「いかに愛媛に獣医学部が必要か」という域を出なかった。https://t.co/pPyjlyLtfO
— 佐藤 圭 (@tokyo_satokei) 2017年8月25日
.@b100c さんの「東京新聞の佐藤圭記者「加戸氏の発言が報道されないのは報道する価値がないから」偏向を肯定」をお気に入りにしました。 https://t.co/p6TSGlgyxC
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月26日
実のところ似たようなニュアンスの話は噂話としては山ほど出ていたし、報道業界に属する人たちの公認アカウントでも端々から言及されてはいたけれど、ここまでストレートな言及は極めて珍しく、ある意味純な存在ではあるのだなと感心しながら。
統計的な数字としてそば事案(森友、加計)のうち加計事案に関して、報道の偏向ぶりの追及があったことに関して、自分達が価値がないと思ったから偏向するのは当然と断じるのは、ある意味潔い感はある。
報道は「報道の価値の有無を決定する」事が出来る「権力機構」である事がよく分かるツイート。>
— タクラミックス (@takuramix) 2017年8月25日
東京新聞東京本社特別報道部の佐藤圭氏の見立てでは、加古氏の発言があまり報道されなかった理由は
"加古氏が国会で語った「いかに愛媛に獣医学部が必要か」には報道する価値がない"
からだそうだ。 https://t.co/S3h0eXMe9G
佐藤圭氏のツイートが炎上しているようだが、自分にとっては納得のいくものです。社内で価値がないとされる事は記事にならない。これぞ正に東京新聞。正に日本のジャーナリズムですよ。本質は何か、それは記者が決める事であり、読者が違うと思ったら購読をやめればいいだけ。そうでしょ佐藤圭さん。 https://t.co/zOKBRI8Ory
— 爪楊枝2 (@tsumayouji002) 2017年8月25日
以前、あるフォーラムで、「豊洲の汚染は報道するのに、どうして築地の問題は報道しないのか?」と聞かれて、これと全く同じ答をした、市場正門向側新聞の記者さんがいました。 https://t.co/TqqWXw1bVD
— Tsukiji521 (@tsukiji_521) 2017年8月26日
指摘もされている通り、報道は論説とは違うのだから、本来はスピーカーに徹しなければならないところ、その内容を自分の想いで取捨選択する権力機構と化してしまっているのだよね。卸問屋が「自分はたけのこが嫌い」という理由できのこばかりを各店舗に卸しているようなもの。しかもそれを各お店や消費者に伝えもせずに。まさに悪しき既得権益、打破すべき「利権」ではある。
東京新聞・佐藤記者(しかるべき立場にいる、公認マーク付きのアカウント)の、加計事案に関わる偏向報道上等宣言は、報道機関には致命的な問題。偏向報道、「でたらめ」を意図的に成している事の暴露に他ならない。しかも今なお新聞社自身による訂正などの連絡が無いということは、新聞社単位でこれを容認していることになる。
簡単にまとめると「加計に関する報道は、俺たちの都合の良いように情報を切り貼りして伝える。実情など知った事ではない」。そしてそれは「常日頃から、報道は俺たちの都合の良いように情報を切り貼りして伝える~」と同意。
この変更による「報道」が日常茶飯事的に行われているのも容易に想像ができる。国政に関わる情報伝達で、かくたる意図的な情報遮断、偏向が成されていたわけだな。これもまた、ある意味ではソーシャルメディアによる可視化というところなのだろう。
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