「やる気がないなら帰れ」とか「無理をしてでも出席すれば連帯感が高まる」とか、どこかで聞いたことがあると思ったら

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先行する話でも触れたぜんそくを持つ人の苦しさの件。時には学校に足を運ぶことすら難儀するような状況にもなる。けれど、それを無理してでも出席する・させることでクラス全体の連帯感が得られるという大義名分を優先する人がいる。連帯感が得られるのは事実だろうけど、それはぜんそくの重篤化の可能性とどちらがより重要視すべきことなのだろうか。その連帯感を味わうのは、子供よりも先生なのではないだろうか。

また、対象となった素材は別だけど、ある運動の訓練で「やる気がないなら帰れ」と怒鳴るコーチの話もあった。アルバイトやお仕事でもよくある言い回しで、言われた側に本当にやる気があるのか無いのか、出来ないのはやる気の問題ではない可能性もあるのに、それを問わずに「思い通りになってくれないのはお前にやる気がないからだ」と決めつけている。そしてそのような場面では大抵は、指示の通りに帰れるわけではなかったりする。それでも帰ろうとすると、別の叱責を受けることになる。言われる側は理不尽極まりない。さらにこのようなケースでは「お前だけ逃げるのか」と連帯責任的な話を持ち出されることも多々ある。

この類の話は最近......というかこの数年、より高い頻度で、多方面から見聞きするようになった。少なからずは「マックの女子高生」と同じような作りネタも混じっているたの゛ろうけど。ともあれそれが最近になって認識されるようになったのは、個人ベースでの経験がインターネット、特にソーシャルメディア経由で情報として共有化された結果なのだろう。

この類の経験は得てして一人、あるいは少数人数。その経験が口伝えで伝わったとしても、大事件にならない限りはたかが知れている。テレビで報じられたとしても、一過性で済んでしまう。けれどネットの場合は個人が情報を発信でき、機会があれば多くの人に周知され、しかも蓄積され、時間を問わずに広まっていく。ある意味情報の可視化とでもいうべきだろうか。

そして連帯感だの連帯責任だので、一つ思い当たる、既視感があると思ったら、例の学校での人間ピラミッド問題だった。連帯責任を声高に掲げて振り回し、連帯感を得られる云々と主張するけど、それで満足するのは子供よりも周囲で見守る先生や保護者だったりするのだよね。

確かに連帯責任を覚えることや、連帯感を持つことは大切だけれど。その重要性を濫用していないかな、という気がするのだな。

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このページは、不破雷蔵が2017年8月28日 07:54に書いた記事です。

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