どのような立場でもウソや反則は許されない

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以前選挙絡みの話でルール違反はどのような立ち位置でもまかりならぬという説明をしたところ「だけどそうでもしなきゃ新人側、対抗勢力側は不利じゃないか」というツッコミをいただいた記憶がある。それは要するにクーデターやテロを容認するのと同じだという思いを抱いたのだけど、それと同じような指摘が今件のあれこれ。

勝負はあくまでも公正な立場で、同じ条件下でなされる必要がある。その上でありかなしかが判断される。相手は自分よりも優っているからインチキをしても良いということになると、自分はお金がないから他人から盗んでもいいんだとか、インサイダー取引をしてもいいんだ、という論理展開とさほど変わりない。ルールを破っても良いとする、その正当性は誰が保証しているのかな、自分がそう思ったから? それは単なるテロ。

指摘に挙がっている某山荘事件や鳥の名前のような悪質新興宗教団体の事件にしても、彼らは自らの正当性を主張し、その上で法を犯すことを正当化している。それと何ら変わりはない。


先日のJアラートの件にしても、反社会、反権力、反体制のためならば対応措置に関してデタラメを語ってそれを棍棒に用いるのは正当化されるとの思いで言及主張している人が少なからずいるのかもしれない。そうとでも考えないと、肩書とのギャップがあまりにも大きすぎるという事例がたくさんある。指摘されている、圧縮効果による「米軍ヘリが危険飛行」なる件もしかり。問題なのはそれを報道界隈が成した点にあるのだけどね。

「嘘も方便」という言葉はあるけれど、それを濫用しているとオオカミ少年になるよね、ホント。

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このページは、不破雷蔵が2017年8月30日 07:56に書いた記事です。

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