「権力は巨大だからちょっとぐらい反則使わないと勝負にならん」の思想の行き着く先は皆さんよくご存知の山岳ベースや地下鉄サリンですよ。そこんとこわかってるんですか、わかって無視してるんですか「非対称性」を錦の御旗に使う人たちは。
— dada-bot (@DadabotX) 2017年8月27日
もうねーなんかねー、どうして「権力に対抗する側」だの「マイノリティ」だの、そういう人は平気で「ルール破り」をしてそれが「どこまでも許される」の?やりたい放題じゃん。おかしいよなこんな世の中。
— tadataru (@tadataru) 2017年8月27日
俺を私を救わないどころか足蹴にして踏みにじるような奴らの「差別反対」なんてそんなものは欺瞞なんですよ。差別反対を利用して差別するのが目的なんですよ。本当の差別者はそこに居るんですよ。
— tadataru (@tadataru) 2017年8月27日
以前選挙絡みの話でルール違反はどのような立ち位置でもまかりならぬという説明をしたところ「だけどそうでもしなきゃ新人側、対抗勢力側は不利じゃないか」というツッコミをいただいた記憶がある。それは要するにクーデターやテロを容認するのと同じだという思いを抱いたのだけど、それと同じような指摘が今件のあれこれ。
勝負はあくまでも公正な立場で、同じ条件下でなされる必要がある。その上でありかなしかが判断される。相手は自分よりも優っているからインチキをしても良いということになると、自分はお金がないから他人から盗んでもいいんだとか、インサイダー取引をしてもいいんだ、という論理展開とさほど変わりない。ルールを破っても良いとする、その正当性は誰が保証しているのかな、自分がそう思ったから? それは単なるテロ。
指摘に挙がっている某山荘事件や鳥の名前のような悪質新興宗教団体の事件にしても、彼らは自らの正当性を主張し、その上で法を犯すことを正当化している。それと何ら変わりはない。
残念ながらこの世の中は反権力のためならば多少の嘘が許されると考えている人たちは珍しくない。先日の圧縮効果を使った捏造もその一例。嘘をついていること自体を非難しているのに、なぜか米軍の飛行へ話題をすり替えようとする。
— ぐり@関賢太郎 (@gripen_ng) 2017年8月28日
先日のJアラートの件にしても、反社会、反権力、反体制のためならば対応措置に関してデタラメを語ってそれを棍棒に用いるのは正当化されるとの思いで言及主張している人が少なからずいるのかもしれない。そうとでも考えないと、肩書とのギャップがあまりにも大きすぎるという事例がたくさんある。指摘されている、圧縮効果による「米軍ヘリが危険飛行」なる件もしかり。問題なのはそれを報道界隈が成した点にあるのだけどね。
「嘘も方便」という言葉はあるけれど、それを濫用しているとオオカミ少年になるよね、ホント。
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