【加計学園問題】東京新聞特報部記者「加戸守行氏の発言が報道されないのは、報道する価値がなかったから」→ネットで炎上 東京新聞の見解を聞いてみると...? - 産経ニュース https://t.co/hmIRjmmlSG 「記者個人の見解であり、編集局としてのコメントはありません」
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2017年8月30日
先日も言及した記憶がある、東京新聞記者の認証マーク付きツイッターアカウントによる、そば事案(森友、加計)のうち加計事案における、東京新聞における偏向報道宣言。当然突っ込まれまくったわけなのだけど、それに対して(一般人なりがコメント求めても無視を決め込むのは当然だろうということからなのか)産経新聞がツッコミをしたところ、「記者個人の見解。編集局としてのコメントは無し」とのお話。
該当記者が単なる短期雇用のアルバイトとか、新人とかなら教育が足りなかったということで仕方ないのかもという同情を得られるかもしれないけど、それなりの立場にいる記者で、しかも社所属としての肩書を有した上で認証マークを受領している以上、その肩書・連動性は誰もが認めるところであり、「知りません」では説明ができない。
「個人の見解です」が通用するのなら、東京新聞は自社記事に関して今後同様のスタンスを取る必要がある。企業の誰かが何かをしても、その人個人のしたことであり、所属企業は何の関係もない。公務員が何かをしても、その所属する属性には関係が無いように表記をしなければならない。それをしなければ、自社の都合の良いように見方を変える、ダブルスタンダードでしかない。
サラリーマンが仕事について放言して「個人の見解である」が通用するのは非公認アカウントだけ。その言い訳を通用させたいなら返上させろ https://t.co/f4DoicL8Y1
— 社員ニング (@teracy) 2017年8月30日
政治家に対しては公務を離れた私的な発言も「責任とれ」と辞任するまで叩くのに、社の公認マーク背負って発言しても「個人の見解です」かよ。すげーよ、第4の権力者さま暴走しまくってるよ。
— 杉下京子@飯テロネズミスキー (@kyouko_sugisita) 2017年8月30日
いえ、非自民系には寛容でございますですよ?
— アルミナ (@super_aaa) 2017年8月30日
和牛商法とかガソリンチケット代とか
これは何も東京新聞に限った話ではない。さらには肩書・所属を有して、その肩書・所属を表明した上でソーシャルメディアに関わっている人すべてに該当する。立場を表明している以上、その立場を利用しているのであり、それは同時に連動性という責務を負っていることになる。自分の都合の良い時だけ看板を利用し、都合が悪い時には「個人です」は通用しないのだね。
無論これは「看板を持つ人はソーシャルメディアを使うな」を意味しない。看板を持つ以上、連動性を常に認識した上で使いましょう、それがイヤなら看板を外し、一個人として使いましょうというだけの話。
ツイッターは特にブログやFacebookと比べて記述・公知ハードルが低いので、つい本音、個人の本質の一面が出てしまいがちになる。しかしそれとて自身の身分を表明した上での、世界に向けた公知情報に他ならない。身内の後援会や部外者立ち入り禁止の場での発言ですら大騒ぎして責任問題うんぬんとするのなら、まずは自身の身を正すべきではないだろうか。
それが出来なきゃ今の報道は単なる活動家だ。
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