「節約」は呪いという考え方

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無論すべての節約行為が悪で、浪費こそ正義という話ではない。物事には何事も見極めが肝心。決められた金額をしっかりと認識し、その中で正しく使い分ける金銭感覚、会計的概念を持たないと単なる浪費しかできない、ズボラな人になってしまう。

ただしその方向性が行き過ぎる、ベクトルを誤ると、指摘の通りかえって損をしてしまうことになる。無駄遣いはするな、でも使うべきところはしっかりと十分なまでに資金を投入しろ。それが結局のところ、中長期で見るとお金の使い方への最適化につながる。

個人的にこれを実感したのは調理道具。以前使っていた鍋やフライパンが相次ぎ壊れ、まとめて出費はちょっと痛いなということで、適当に100均のを買って使っていたら、すぐにダメになったり怪しげなにおいがしてきたり。

調理道具で金をケチったらダメだ、結局すぐに買い替えをしなきゃならないし、損耗が気になって料理そのものが出来ないってことで、いくつかのデパートを巡ってちょいと普段は買わないレベルのものを調達。結果として使い心地は良いし、買い替えをしなくて済むようになり、単純なコストの面でも、調理の際の心理的プレッシャーも無くなり、少なくとも損はしなかったと感じている。

要は、その場での100円の節約が、明日の1000円の損につながるかもしれないということ。ただ同時に、金銭的に追いつめられると、その計算ですらできなくなるのも事実。見方を変えると、節約志向に縛られるのは、お金の足りなさに追い詰められているのと同じ思考となりがちであるってことかな。


下手な節約貧乏至るってのは、時系列的なものだけでなく、お金に換算しにくい価値を頭に描けるか否かでもある。数時間ずっと待機させられてドーナツ2つを手に入れることが、自分にとって総合的にプラスとなるかマイナスとなるか。その計算ができるようにすることが、お金の感覚を磨く事であり、貧乏のスパイラルから抜け出すツールとなるのだろう。指摘の通り、非効率的な節約はしてはいけない。矛盾している言い回しかもしれないけど「無駄な節約」はアウトなんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2017年8月31日 07:33に書いた記事です。

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