日本語の読解力が絶望的に欠けた上で報道に携わっているのか、それとも

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先日ヤフコメで解説者コメントもした例の問題。何度読み直しても報じられているような形の読み方は極めて困難で、世間ではそれを曲解とかこじつけとか屁理屈というのではないかとしか思えないのだけど。昔のように一過性の情報でオシマイ、発信側が思ったことを下知の形で皆に伝え、視聴者読者はそれに従うばかりってわけではなく、やり取りがテキストとして保全されて何度となく繰り返して検証でき、動画も参照できる時代なのだから、昔のようなスタイルは無茶ぶりとしかならないのだけどねえ。

まぁ大体当方の言わんとしているところがすでに語られているのだけど。無理を通せば道理が引っ込むとでもいうのかな。それを道理を通さねばならない界隈が平気で成しているのを見るに、理性のタガが外れると人は何でもできるのだなということが改めて認識できる次第ではある。ここまでくると「でたらめ」としか解釈しようがない。虚報でもいいか。

今件で確認できたのは、報道や専門家の少なからずが、日本語の読解能力の点で絶望的な状態にあること。幼稚園児が警察官の服を着て拳銃を振り回しているようなものだな。あるいは普段から自らの都合の良いように事実や文言を切り貼りし、曲解し偏向させて伝えている、それが今回あからさまな形で可視化されたってことかな。

...ということを書くと「言論の自由ガー」というご意見をいただく。言論は自由。論評はいくらでもしてもOK。でも論評(オピニオン)と報道(プレス)は別。今件を「報道」だと断じるのなら、その報道を成した界隈は日本語の読解能力が絶望的であり、普段の会話にも難儀するようなレベルでしかないと判断せざるを得ないのだけど、それでよいのかな。

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このページは、不破雷蔵が2017年9月 1日 07:53に書いた記事です。

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