記者・メディア関係者に対するネット上のハラスメントなど、嫌がらせは世界中で問題になっている。表現・言論者の側が心理的苦痛を受け、自主規制、自己検閲してしまうし、またハラスメントの次に暴力が来る場合もある−と指摘されている。拙著「グローバル・ジャーナリズム」でも少し触れました
— Yasuomi SAWA 澤康臣 (@yasuomisawa) 2017年9月1日
「私達記者は正義、がんばる」と近しい属性のお話。意思疎通のハードルが思いっきり下がり、特定属性の人達からの一方的な情報発信と、多数の人の情報受信オンリーという環境は終わりをつげ、情報発信能力の差異はいまだに存在するけれど、誰もが不特定多数に向けた情報の発信を成せる時代となった。当然、これまでと異なる環境に戸惑い、不満を持つ人もいる。今件もそんな感じかなあ、というのが第一印象。
報道界隈に対し、確かに理不尽な、正当性のない嫌がらせを成すものもある(当方のサイト名の英語表記を検索すると、その類のが時折引っかかる)。でもそれも以前は電話なり手紙なりで成されてい部分もあるので、可視化されただけに過ぎない。ハードルが下がればやってくる量も増える。
これは共同通信記者。メディアの権力が政治家のみならず、一般人にも誹謗、中傷、捏造、誤報を繰り返しているのに、自分たちが批判されると被害者ヅラ。ジャーナリストだけが何か特別な使命を担っているかのような勘違い、驕り高ぶりの典型例ですね。 https://t.co/CAHA54pdPV
— CatNA (@CatNewsAgency) 2017年9月1日
やりたい放題しといて反撃されたら文句垂れて泣きいれるってそんな甘い世間があるわけねえだろ。 https://t.co/Dqs1QbqqhW
— dada (@yuuraku) 2017年9月2日
で、大体指摘されている通り、今まで好き勝手に発信側の立場として「下々の者よ、ありがたく吾輩の情報を受け取るがよい」的な状態だったのが、その下々と認識していた人たちからツッコミやら修正要求やら事実指摘やらの反論意見具申進言などが寄せられるようになったため、それをハラスメントであると自称し、悪しきものだとラベル貼りすることで拒否を成し、引き続き自らの一方的・絶対的な情報発信者としての権威・地位を正当化しようとしているのが実情。
自身がハラスメントであると自称すれば、それはハラスメントであるというのなら。これまで報道によって受けた被害は、報道被害者もまた、報道によるハラスメントに他ならず、同様に保護される必要があり、報道は責を負わねばならないのだけど。なんだか例のヘイト問題と似たような感じもする。
そうかなあ?fedの議長の会見やホワイトハウスの会見の中継はよく見るけど、ブルームバーグ(日本)の日高とか東京新聞の望月記者みたいな人は、ちょっといないと思うけど。 https://t.co/8kgLpkmbGW
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2017年9月2日
アメリカの全ての記者会見を見た訳ではありませんが、記者は政府に対して非常に辛辣な質問をすることはあっても、国家への忠誠や軍への敬意はベースとして共有しており、間違っても自分の国の上にミサイルを打ち上げる国の立場を代弁して、自らの政府を追及することはないのではないかと思います。 https://t.co/ByyfdZ0ibx
— RG (@RG36350) 2017年9月2日
公人による記者会見における、記者とは言い難い言動の繰り替えしに対し、あれこそを報道の正しい姿であるとする意見を成す報道関係者や有識者の姿もまた、今の報道や有識者の限界、品質を表していると言えるのだろう......あるいは単に可視化されただけで、これまでもそうだったに過ぎないのかもしれないけど。
一方的に理不尽な殴りつけを繰り返し、最近になって反撃を受けるようになったら「ハラスメントだ」と自己正当化をするのは、くだんのポリコレ周りと雰囲気は似ているし、悪用していた既得権益の可視化による自然な反応が生じただけと表現できるのではないかな。
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