『備えは無駄に終わってナンボ』
— KGN (@KGN_works) 2017年9月4日
ケチくさく役立てようと思わないこと。
役に立たないのが一番なんです。
備えが活きるのは次善。
「備えず被害を出す最悪を避ける」が備える目的だからね。
震災直後の、原発事故の規模がまだわからない時期に、外出したら上着を玄関で脱げとかマスクしろとか窓に目張りしろとか言われてたあのあたりの感じには近いかな。万が一に備えてできるだけのことをする知識を共有するって意味では。
— omion (@16331633) 2017年9月4日
「避難訓練程度で、騒いだうちに入らんでしょ?」という感じかなあ。
— KGN (@KGN_works) 2017年9月4日
核弾頭が頭上に降って来るかもしれなかった時代の、諦観みたいなものを思い出すとね。我が政府よ頑張って戦争回避しろよ、いざ降って来るようならまあ仕方ない生き延びる努力するさ、くらいのもの。
災害にしても戦争にしても、備えておくことにこしたことはないという観点では同じようなもの。個人ベースでは対処策しかとる方法は無い(神のような力を持っていれば話は別だけど)。「最後に頼りになるのは自分」ってのも、この辺りにあるのではないかな、と。
で、先のミサイルの訓練周りで一部こんな指摘がある。やるだけ無駄、震災後の放射線周りでバカ騒ぎしていた一部反社な方々と同じではないか、と。実のところはむしろ逆で、一緒にされては困るレベルの話ではある。また話にも挙がっているけど、冷戦時代では半ば以上常識だったことの繰り返しの部分も多いのだけど、その冷戦時代に成人だった人、つまり相応の分別がついていた人がいまさら大騒ぎしているのはどういうことなんだろうか。反社行動が経験や知識を踏みつぶしてしまったのかな。あるいは冷戦当時から、「そんなたぐいの人」だったのかもしれない。
カーテンを馬鹿にしてる人が多いが、核爆発は閃光と爆風の被害があり、広島の原爆投下時に白い服を着ていたおかげで閃光による被害を免れた例もあるのだからカーテンは無意味ではない。閃光の後の爆風によるガラスの飛散も多少は防げるし閉めるに越したことはない。 https://t.co/WcTWtMePSA
— ROBA (@vjroba) 2017年9月3日
賭けてもいいけど、こういう避難行為を馬鹿にする人間のクズが実際に避難行為を取らずに死ぬことになった人が出たら「避難行為を取らないのが悪い」と自己責任論をぶち上げる方に100ペリカ。 https://t.co/eZe47DahRj
— 擲弾兵 (@tekidanhei) 2017年9月4日
まず、「爆心地が地表に近く、またその爆心地の真下にいた」なら、カーテンもへったくれもあるかーい、ってなるから、「カーテン無意味派」の主張は一理ある。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
が、「爆心地からそれなりに遠いが、爆風、衝撃波が到達する程度には近い」という場所は、状況によってはカーテンも無意味ではなくなる。
爆風・衝撃波が届くところでも、爆心地に近いところだと「車」とか「看板」とか「植木鉢」とか「スマホで閃光撮ってた人」とか「親方、それから女の子が!」とかが飛んできて窓ガラスを破る可能性があり、これはカーテンでは防げない。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
が、爆心地の外縁部に近くなっていくと、到達する爆風・衝撃波もそれなりに減衰していくけど、「ちぎれた人体の一部」「そのへんにいた猫」「気の毒な渡り鳥」くらいは飛んでくるかもしれない。 それらが窓ガラスに衝突して、そこでエネルギーを失う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
飛来物はガラスを割った時点でエネルギーを失うが、割れたガラスは飛来物のエネルギーの一部を受け取って、その破片を室内に撒き散らす。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
つまり、「ニュートンのゆりかご(衝突球)」で、端っこにボールが当たると反対側が跳ね返るっていうアレが、ガラスを挟んで起きる。https://t.co/w9hGdFKBmV
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
このとき、「ガラスにワイヤーなどが入っていない」「ガラスがペアガラスではない」「室内側のほうに軟性の遮蔽物(カーテンなど)がない」と、ガラス片はそのまま室内に飛散するけど、遮蔽物があり、またガラス片の勢いを遮蔽物で減衰できるなら、被害はさらに押さえ込める。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
もちろん、「飛んできたどっかの作家の首から上の部分(重量およそ5kg)」がガラスを突き破り、頭部ごと室内に飛びこんでくる」とかだと押さえきれないけど、「ガラスに当たって頭は跳ね返ったが、ガラスは割れた」みたいな場合は,多少の救いになる。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
とりあえず、説明としては例によって雑ではあるけど、「カーテンが遮蔽物として役に立つ可能性がある場面想定」としてはそんなとこ。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
震災とかで心当たりのある人いると思うけど、「小さな力で割れたガラスの微細片」ってしなくていい怪我の主原因の一つだもんな。
で、「そのことを最優先に全ての解決策のように言うのはいかがなものか!」という批判をしてる人もいると思うけど、そうでなくて「政府レベルでできることはするけど、個人レベルでできることもあるから、それをして少しでも怪我人が出るのを減らそうね」っていうのが、【避難訓練】の意義なん。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話香典怪談 (@azukiglg) 2017年9月4日
大した手間でもないし閉めとくか、くらいで良いでしょうね。
— KGN (@KGN_works) 2017年9月4日
怪我しない確率を上げるのって、その程度の心がけの積み重ねですから。 https://t.co/ri25n0Nus6
対ミサイル訓練の一環として、カーテンを閉めるという行動をせせら笑う人、侮蔑する人、さらにはその所業そのものを政府なり社会なり関連組織の蔑称に使う人がいて、ああこういう人たちはどのような場でもそういう人でしかないのだな、と人としての品質を刻印せざるを得なくなる。
多分にゼロリスク論的な考え方をくすぐる手法なのだろう。カーテンを閉めてすべての被害が防げるとでも? ばっかじゃねーの? 的な。ちがう、そうではない。確率論的に少しでも安全のチップを上乗せするための手法の一つに過ぎない。自動開閉の機構があるのなら、雨戸を閉めるボタンを押したっていいわけだ。
当人がそれらの所業をバカにして成さないのは別にかまわない。それは個人の自由ではある(残念な話には違いないが)。しかしながらそれを他に風潮し、真面目に考えてやろうとしている人の足を引っ張るのは、正直悪業と表現しても良いだろう。以前挙げた気もするけど、避難訓練でわざと大騒ぎして指示に従わない子供がそのまま大人になったようなものである。
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