デモが失敗というか逆効果になる要因としては、「味方を増やすための手段の一つである」って大前提を失念していることだと思う。昨今のほとんどのデモは対立する相手を罵倒するためだけにやってる。それじゃ周囲は「かかわりたくないキモい集団」という風にしか見ることができない。
— つるや@なろうにて小説連載中 (@tyurukichi_AA) 2017年9月10日
ツイッター日本支社前での例のデモ的なもの。ステークスホルダーの一員としては色々とツッコミたいところではあるけど、多分に時間の無駄にしかならないので最小限の指摘をした上で生温かい目でモードに突入。で、指摘のされている通り、今件に限らず、行動側が「デモ」と自称しているものの本質が変わっているのかなあ、という感はある。
「デモ」ってのはデモンストレーションの略で、元々は自らの考えを不特定多数にアピールするためのもの。多数に情報を周知する手段が限られていた時代では有効な手立てだったに違いない。チラシとかチリ紙交換のトラックと同じだね。チンドン屋もそうかな。
でも昨今では情報の価値というか存在、性質が大きく変わってしまい、デモの相対的意義が減退しているのは否めない。さらに指摘の通り、行動する側が本質を違えてしまっているのも事実。何というのかな、江戸時代の市内引き回しを自ら望んでやっているような状態ではあるのだよね。優勝パレードとかいうのと全く逆。
今のデモは多分に、構成者の忠誠心の確認とか、組織内の引き締めの意味合いが大きいような感はある。あとは上層幹部の自己満足感の充足のための行為。社内運動会とか遠足とか新人コンパと同じかな。ああ、例の人間ピラミッドがまさにそう。
そして彼らが成した「踏み絵」がまさしくそのまんまだよね、的な。
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