「1次翻訳を2次請や3次請に任せた後、リードトランスレーターなどの肩書きの一線級が頑張ってチェック」という体制が散見されるんですけど、順序が逆っす! 初っ端に有り金のほとんどをつぎ込んでダルやマエケン級の訳し手を雇い、ケアレスミスのチェックをルーキーに任せて勉強してもらうんです。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月9日
優秀な人が少ないからこういうビジネスモデルになっていったと言う方もおられるでしょうね。それも考え方が逆です。一線級のギャラを数千万円にしたら、10年、20年後には優秀な人であふれて、翻訳業界も高価額ドキュメントビジネスになります。ギャラを数十年間下げ続けた結果が今の状況です。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月10日
「たかが翻訳屋が数千万円とかwww」? 日本の大学の正教授が確か6~7万人。翻訳者に求められる知識・知性・技術・専門性の水準は大学教員レベルですが、翻訳者の数はおそらく1/10程度、一線級は、管見ではさらにその1/10程度です。レア度と需要と難度でいえば、妥当だと思っています。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月10日
トップクラスの対価をどんどん引き上げれば、その対価を目指して就業する、勉強する人が増えるので、業界全体が豊かになる。逆に対価をケチるとプロの仕事をする人でも多分の仕事を引き受けねばならなくなるので、どうしても質が落ちてきてしまうし、新たに参入を考える人の数も減る。対価ってのはその仕事自身への報酬に留まらず、その人を、そしてその周辺を、さらには業界全体を育てていくための投資でもあるのだな。
今件は翻訳稼業での事例だけど、似たような話は切り口を変えて何度か解説しているはず。たくさんの報酬を得られるという話があれば、それを目指す人は増える。たとえどんなに楽しそうでも、それでご飯を食べる事ができない、暮らしていけないのなら、滅多な事ではその仕事にはつかない......というか道楽でないとつけないよね。畑を耕さずに水も、肥料もやらずに、さらには種も適当にばらまいただけで「なかなか実ができないなあ」と愚痴をこぼしているようなもの。
翻訳に限れば指摘の通りで、機械翻訳によって随分と楽にはなったし、意訳レベルならどうにかなるかもという感じだけど、商品として展開するレベルのものになると、やはり人の手が必要になる。加え、その原典に関わる知識も欠かせない。何の知識もなく技術書を翻訳しても、とんちんかんな文が出来上がるだけ......って某映画翻訳家のエピソードで山ほどあるな、これは。
希望単価が高い人間というのは、①とんでもない勘違い君である②ある程度の自信や実績がある、そのいずれか。素朴な疑問なんだけど、「希望単価が高すぎるから」という理由で門前払いのところは、要するに、いい翻訳者が欲しくないということなのかしら。私がどうのこうのじゃなくて、一般論として。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月11日
③その仕事を断りたい。
— 御寿司 (@osushidaisukida) 2017年9月11日
あと、「私はこのレベルだと思われているのかな、実際、ほかの人から客観的に見るとこのレベルなのかな」と思うこともあれば、「このあんまりよろしくないのを何とかしてほしくて、私にお話をくださったのかな」と思うこともある。ほんと、いろいろ。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月12日
対価周りの話でもう一つ。自由・自営業では特に、なんだけど。対価ってのは仕事とか人物に対する評価の物差しでもあるのだよね。あなた(の仕事)に出せる金額はこれだけだ、つまり値踏みってこと。立場を変えて仕事をする側からの金額の提示は、自分の仕事の自信の結果でもある。仕事の話をしている時に、依頼をする側に対して金額のことを聞くと怒り出したり、的外れな金額が出てくるのは、評価の物差しがぶれているのだろうな。
まあ、指摘の通り明らかに変な金額を出すことで、やんわりとした意思表示に代えるってのもあるのだろうけど。
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