文化庁「国語に関する世論調査」の項目の意図が不明です。「存亡の機」を使う人が少ない事実がどんな文教政策に役立つのか。私が「存亡の危機」誤用説を日本語本で見たのは昨年でしたが、司馬遼太郎・阿川弘之など名文家も使っているし、「存続か滅亡かの危機」という意味で、不自然でもありません。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年9月21日
先日文化庁から発表された、毎年恒例の「国語に関する世論調査」。本家サイトでの精査はどたばたしていることもあって来月に入ってからとなってしまうのだけど、ちょいと興味深い意見が有るので覚え書きも兼ねて。
例の、複数の意味合いを持たれてしまったり、別の表現が使われてしまう文言について、意味は無いじゃないかとするお話。一理はある。
熟語の語法のひとつに「帯説(たいせつ)」というのがあります。「一旦緩急の際は」という表現は「一旦危急の際は」ということで「緩」に意味はない。「恩讐の彼方」は「讐(うらみ)」だけに意味があって「恩」にはない。「存亡の危機」も一方だけに意味があると解してもいい。これは別解です。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年9月21日
「本来は『存亡の機』が正しい」というのは「本来」の捏造でしてね。昔は「危急存亡の秋(とき)」「存亡の淵」「存亡の瀬戸際」「存亡の岐路」などとも言ったし、「死生存亡の険難」(中江兆民)とも言った。その中で「存亡の機(=おり)」はまだしも「存亡の危機(=あぶないおり)」に近いです。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年9月21日
「存亡の危機」のように、長らく誰もが平和に使ってきたことばが、ある日突然、日本語本などで「誤用だ」と言われることがあります。それを文化庁調査が取り上げ、ニュースになると、「本来の言い方は○○」という(造られた)ストーリーが広まる。何の罪もないことばにケチがついてしまうわけです。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年9月21日
要は言葉の移り変わりは日々起きているのだし、昔から誤用的なものとか別の意味の解釈もなされているのだから、それをわざわざ文化庁の報告書でツッコミ入れなくてもいいのでは、というところ。
これねぇ。言葉の使われ方がどのような変化を見せているのか、その記録としては非常に有意義ではある、というのが当方の考え。どちらが良い、悪いというのではなく、調査時点ではこれぐらいの人がこの使い方をしていたよ、というのは、数字化することで、大変価値のあるものとなる。
他方、文化庁も一つ明らかな問題点が。ネット上に公開されている報告書を見ると分かるのだけど、この報告書って実は、調査の全結果のうちのごく一部の抜粋版でしかないのだよね。全体版は総務省のデータベースe-statにも収録されていなかったりする。あるいは文化庁に足を運べば冊子版として存在しているのかもしれないけど。その全体版が無いので、色々な、あらぬ思惑が生じてしまう。
公開したくない、できない理由もいくつか考えられるけど、文化を正しく維持するのが文化庁の役割ならば、さくっと全体を公開すべきではないのかな。
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