今の時代、語学や翻訳を勉強するための環境が整っていて志望者が増え、平均的な技術水準は上がり、競争は激しくなり、生き残りがますます厳しくなるのではというご意見もある。しかし、少なくとも優秀な人の絶対数が増えるかどうかに関しては、何とも言えないと思う。私見では、これからはむしろ減る。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月21日
今は国も地方自治体も文教予算を漸減させているから、学習環境・教育の質や平均学力は今後下がる。教育費に十分なお金を割ける家庭が少ない国には、既になっている。あと十年ほど経てば影響が顕在化する。また、この仕事で安定的に仕事を受注しようとした場合、ものを書いて食べていけるくらいの筆力が
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月21日
要ると思うんだけど、いちばん重要な小中高時代に、ネット上にあふれるいい加減な日本語に慣らされ、LINEでは、当人どうし・同世代どうしでしか通じないフランクかつ適当な文でやり取りしている現代の子は、きちんとした読解力や文章力を身につける環境としてはスーパーハードモードの中にいる。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月21日
先日の文化庁の「国語に関する世論調査」周りの話でもちらりと触れたけど、言葉というのは社会環境に従い変化していく。元々コミュニケーションのためのツールでしかないから、ツールそのものは環境に応じて変化するのは当然の話。
で、コミュニケーションはインターネット、そしてソーシャルメディアの普及浸透に伴い、けた違いに増加する時代を迎えている。中でも色々と経験を積み、学習をしていかねばならない年齢階層にある人たちにもその波が押し寄せていることで、指摘の通り、正確なフォーマット、様式を学習する前に自分達の用語を刻まれてしまう可能性が、機会が増えている。海図も持たされず、航行に関わる法律も学んでいる最中で、船の操縦の仕方も知らない状態で、船舶関連の学生が海に船と共に放り出された感じ。昔流行ったギャル語的な、特定年齢層のみで認識されている言い回しを、日常の会話でも用いるようになってしまうような。
表現方法とか言葉の意味は社会人となるなど、必要になった時にまだ矯正のしようがあるけど、読解力とか文章力に関しては、付け焼刃は難しい。それができれば苦労はしない。あるいは最近「空気読め」的な感じで文章をしっかりと読めばわかる、中身を読み解けば理解はできる内容に関して、的外れなツッコミをされることがあったり、そういう奇妙な、日本語を読めているのかなという事例を見かける機会があるのだけど、今件の指摘のようなものが一因かもしれない。単に可視化されただけの話かもしれないけど。
今の四十代、五十代は、幼児期から大学を出るまでの間、特に何も意識しなくても、きちんと校正・校閲・査読された文章を日常的に読むことができていた最後の世代になる。外国語力を伸ばすのは簡単になっても、国語力習得の環境が劣悪になっていく分、優秀な人の数はあまり変わらないんじゃないかしら。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月21日
最悪のシナリオは、「読む人はそこまでの質を求めてないんですよ、『なんとなく』通じりゃいいんです、もっと安くやってください」「今の時代、こんなの誰でもできるんだからギャラは下げる。ただし質は最高のものにしろ」という考え方が大多数を占めるようになること。そうなったら閑かに退場します。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2017年9月21日
まぁ、見方を変えれば、それだけ価値が出てくるのだろうなあ、というポジティブシンキングもしてみるけど、指摘の通り商業側も「てきとーでいいんですよ、売れればオッケー」的な姿勢を示すかもしれない。校正を受けている人で「校正をする側の校正力、日本語読解能力が絶望的だと感じることがある」という話もちらほら見聞きするようになった。
一番なのはしっかりとした日本語とフランクな日本語の双方を使い分けられるようにするって感じかな。それはもう、日本語と英語を使い分けるぐらいの価値があるのかもしれない。
...問題なのは日本語の読解力に絶望的な人が、それを認識せずに他の人に石つぶてを投げてくることなんだよなあ。いわゆる「言葉は通じるのに話が通じないという...これは奇妙な恐ろしさだった」事案の少なからずも、この「日頃からのフランクな言葉のやり取りに慣れ過ぎて読解力の修練不足状態となった人」によるものかもしれない。
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