勉強しなくても現代文の点が取れた方々って、自分の観測範囲だと大体オタクかメンヘラになるんだけど、多分ソレ「発話より文字によるコミュニケーションにパラメータを振った」が故の結果であり...読解・作文力と引き換えに会話適性(要はリア充適性)を犠牲にしてしまったからではないか?と推測してる
— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) 2017年10月1日
中には双方ともうまい人もいるのだけど、ロールプレイングゲームでのキャラクターづくりに例えると、スゴク納得のいく話。実際には自分自身のパラメータを割り振れるわけが無いので、たまたま特性的に得手不得手があるまでの話なのだけどね。
要は、対面による言葉や身振り素振りでのコミュニケーションが上手か、文字によるやり取りが上手か、どちらか一方に偏りがちだよねということ。そして会話の適性は概してリア充への道に続くとなる、と。まぁ、文筆家などの執筆業の先生方も、アクティブな会話術を駆使しているってのはあまりイメージが沸かないし、それを成している人はむしろ啓蒙ビジネスとかなんとか商法のトップに立っている雰囲気だったりする。
すごい分かるわ。文章は多少書けるけど、雑談とか超苦手。 https://t.co/SJsyTaBBZ8
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2017年10月2日
実のところ当方もほぼそのタイプだったりする。パニクるというか、急な対応が非常に苦手。瞬時の判断が難しいので、自動車の運転もムリムリモード。免許はあるけど、実質的に身分証明書になっている。
そして思い返してみると、今ではパソコンだのワープロだので文章をさらさら書けるし、コピペやら修正やらも容易にできて、自分の考えを即時に文字に出来て不特定多数に発信できるのだけど、ちょいと前まではペンなり鉛筆で書いては消し、間違いを見つけては書き直しで、非常に難儀していた。デジタル系の技術進歩発展って、文字によるコミュニケーションのパラメータが大きい人にとっては、偉大なる進歩だったんだよなあ、と改めて思ったりする。
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