イタリア旅行で出会った人たち実録(アモーレ溢れすぎ案件)
— 米 (@okomeeeen) 2017年10月8日
イタリアの人々代打:くるん兄弟 pic.twitter.com/rjFWLtv29F
気持ちがまったくこもっていなかったり、いわゆる褒め(ピー)し的に逆効果を狙ったものは別として。日本人はどういうわけか、喜怒哀楽に代表される感情表現のうち、ポジティブなものが苦手な気がする。自分自身の意思表現にしても、他人に向けたものにしても。何度か取り上げた、日本人だけでなくアジア系の人達特有のものかもしれないけど。
まぁ、今日からイタリアーノみたいな対外対応をしろというのは無理だし、かえって自分に負担がかかってしまうのは間違いないけど。例えば以前取り上げたように、商売をしている人に何かサービスを受けたらありがとうというとか、良いものに出会えたらその感想を素直に、下手につくろって無理に言葉を組み合わせるまではしなくてもいいから、伝えるぐらいはできるんじゃないかな。黙っていたら何も伝わらない。
たとえ「ありがとう」の一言だけでも、自分が何か損をするわけじゃない。最初はちょいと気恥ずかしいかもしれないけど、すぐに慣れる。これは間違いない。慣習みたいなものだから。いただきます、ごちそうさまみたいな感じ。
イタリアほどではないけど、アメリカでもちょっとやりすぎかぐらいの褒め方とかしてちょうどいいぐらいだと感じる時がある>RT
— 松田未来 夜光雲のサリッサ新連載! (@macchiMC72) 2017年10月8日
女性に限らず、褒めるという行為はすごく重要。それが通じると好意度が音を立ててアップしていくのが分かる。
おだてに弱いとかそういうことではなくて、コミュニケーションの常道手段なんだと思う。相手に対する好意を表明することが大前提というか。だから僕も自分の漫画に対する相手の評価を素直に受け止めておくことを覚えた。結構真面目に言ってるのが分かってきたので。
— 松田未来 夜光雲のサリッサ新連載! (@macchiMC72) 2017年10月8日
こちらも謙遜したり卑下する必要はない。むしろそれは相手の評価を足蹴にする行為なのだ。日本人だからどうしてもその辺切り替えるのは意識してないと難しいけど。でも、アメリカに行くようになってから他人を褒めることに抵抗がなくなってきたのも事実。
— 松田未来 夜光雲のサリッサ新連載! (@macchiMC72) 2017年10月8日
それは悪いことではないどころかいいことなんじゃないかと思ってます。
— 松田未来 夜光雲のサリッサ新連載! (@macchiMC72) 2017年10月8日
まぁ、洋画とかテレビドラマを見てると、確かにオーバーアクションというか、それ演出だろ的なものは結構見かける。でもあれって実のところ日常生活では当たり前のことなのかもしれないし、そのようなものが指摘の通り、コミュニケーションツールとして成立しているのだろう。脳内で考えても相手には伝わらない、言葉で、態度で示そう、と。
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