安倍総理が柏駅前で街頭演説。菅野完氏がメルマガで集結を呼び掛けたこともあり、大声を張り上げ批判している人達がいたが10人程度。それにしても、ごく一部しかいない批判的な人達を、TBSはなぜ至近距離で撮っているのだろうか?我々は批判の声にも真摯に向き合い、やるべき政策を実行し続けます pic.twitter.com/7QtpFD7Nw6
— 和田 政宗 (@wadamasamune) 2017年10月7日
現代は街頭にスマホを持った人たちが、大勢いる時代。都議選のときと同じことをやりたいのだろうけれど、今もなお自分たちのカメラだけが特権的で特別な力があると思っていられることが不思議だ。 https://t.co/tjuTFhaK6T
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2017年10月7日
このフレーズは何度か使っているし今後も使って行きたいのだけど。スマホの普及とソーシャルメディアの利用率拡大によって、誰もがテキスト、さらには写真や動画ですら、第三者に知らしめることが可能になった。無論勘違いやフェイクも確率論的に絶対数は増えるけど、それでもこれまで特権階級のみの権限だったものが、誰にもできるようになったことの意味は大きい。......まあ、見方を変えると一億総相互監視時代でもあるんだけどね。
誰もが報道記者と同じようなことができるだけに、得られる情報の正誤の見極めが大切。ネット社会ゆえに集合知で思わぬところから鋭い指摘の入る局面があったり、偏りのある報道内容から疑問を持つ考えにより別の真実が出てきたり。
— ヤン=ミンツ (@yangmintz) 2017年10月7日
無論、情報が増える事は良いことばかりではない。ジャンクもノイズもフェイクも増える。悪用する輩もたくさん出てくる。良い情報を選りすぐり、正しい判断ができるようなスキルを磨かねばならない。無論以前から情報の取捨選択と精査能力は必要ではあったけど、昨今はますますその能力の重要性が高まっている。
そして何よりも、ひとりひとりの真実を得るために、まずは他人が発信した事実を正しく取得することが大切。上場企業の株式取引において、正しい情報が無ければ投資判断もできないってのと同じ。正しい情報があっても間違った判断をすることだってあるんだから、歪曲した情報だったら正しい判断など望めない。
あるマスコミの人が
— もへもへ (@gerogeroR) 2017年10月6日
「言論の自由の危機。最近新聞の記事や私の発言にたいしてネットで反論中傷が書き込まれる。そんなことは昔はなかった」
「いままで言いっぱなしだったマスコミさんが情報が双方向化しただけで言論の自由という観点なら逆に言論の自由が進んだんだよ」とは思う。
今件に合わせ。情報発信ルートが増えると、これまで独占した界隈がこんな話をしてくることがある。まぁこれも、今までやりたい放題だったのが突っ込まれるようになったまでのお話。例の「私達は怒っています」も実態として「私達は『いいね』されないので逆切れしています」のと同じってところだな。
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